「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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古典の日絵巻[第七巻:きものがたり]

市田 ひろみ

服飾評論家

服飾評論家、他、幅広くご活躍されている市田ひろみさんが、和の生活文化の古典ともいえる“きもの”の魅力について語る「きものがたり」。先生直筆の原稿から先生の語りが聞こえてきそうです。どうぞお楽しみください。

古典の日絵巻第七巻 きものがたり

明日香村教育委員会「高松塚古墳壁画 西壁女子群像」

第五号 平成30年8月1日

衿あわせ
服飾評論家 市田 ひろみ

びわ湖の花火の夜。
エレベーターに乗って来た カップルの女性の衿を見て はっとした。
左前だったのだ。
きもの・ゆかたの衿合わせは 右衿を先にあわせて左をあわせるのが、右前。
逆に 左をあわせて 右を あわせるのを左前。
右襟着装法
(
うじんちゃくそうほう
)

左襟着装法
(
さじんちゃくそうほう


と呼ぶ。
彼女は逆に あわせていた。
私は彼女を ちょっと手招きして
「衿合せが逆ですよ。直してあげましょうか、すぐ出来ますよ!!」
彼女はへえー?
彼氏は意味がわからない。
私は 柱の横で、右衿、左衿の説明をしてあげた。彼女は 彼を見あげて
「どうする??今日は このままで良いか 良いです」
と言って行ってしまった。
このままで 良いわけは無いけど。
日本のきものの 衿合せは 実は その日の気分で 良いわけではない。
遠い昔は 日本も 左前だった。何度も出た衣服令の中で 今日のように 右前にととのえられた。
西暦七百十九年、
天正
(
げんしょう
)

天皇の養老三年二月三日に出た
衣服令
(
えぶくりょう
)

に こう 記されている。
初令 天下百姓 右衿(天下百姓をしてえりを右にせしむ)と続日本紀に記されている。過去 左前だった衿合せは 実は時をへて 右前になった。
実に 一三〇〇年も 衿合せは 右前を守りつづけることになった。
四~五世紀の埴輪などには 多く 左前も見られるが、先に中国にあった 左前の着衣法は 早く 中国の 先人達の 着衣法に見られ 日本も 左前から 右前に 移ってゆく。
高松塚の 西壁の 四人の女性像を見ると 左前であったことがわかる。
二二〇〇年前の 湖南省 
馬王堆
(
まおうたい
)

漢墓
(
かんぼ
)

に眠っていた女性 
辛追
(
しんつい
)

も 右前に着ているし、 副葬品の二六六体の
木桶
(
もくよう
)

(人形)も 右前に着ている。
日本では現在 御遺体を 棺に入れる時 きょうかたびら(経帷子:ひとえの白いきもの)を左前に着せる 習慣がある。
花火の夜 左前のゆかたのお嬢さんも 知らないから 左前に着ていたが、衿合せをとっても 日本人は ていねいに 昔ながらを 守って来ていることがわかる。