「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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「古典の日」からとっておきの情報や
こぼれ話などをお届けします。

古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」

こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。

赤澤 真理

(あかざわ まり)

大妻女子大学家政学部ライフデザイン学科准教授。博士(工学)。
日本住宅史・日本建築史専攻。
源氏物語絵などの物語絵巻に描かれた住まいの文化史について研究。
『源氏物語絵にみる近世上流住宅史論』(中央公論美術出版)
『御簾の下からこぼれ出る装束-王朝物語絵と女性の空間-』(平凡社)
『住吉如慶筆伊勢物語絵巻』(思文閣出版)(共著)
『伊勢物語造形表現集成』(思文閣出版)(共著)刊行予定
日本建築学会奨励賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞。

九月号

『紫式部日記』にみる紫式部の局

 9月号では、中宮彰子に仕えた紫式部の局についてみていきます。『紫式部日記』には、紫式部が暮らした一条院東北対(いちじょういんとうほくたい)の局の様子が書かれています。

●細殿(ほそどの)の三の口 紫式部の局
 細殿の三の口に入りて臥したれば、小少将(こしょうしょう)の君もおはして、なほ、かかる有様の憂きことを語らひつつ、すくみたる衣どもおしやり、厚ごえたる着かさねて、火取に火をかき入れて、身も冷えにけるものの、はしたなさをいふ

(三五 中宮内裏還啓―十一月十七日)

 細殿の三つ目の戸口の部屋に入って横になっていると、小少将の君もいらっしゃって、宮仕えの生活のつらさなどを語り合いながら、寒さで冷え切ってこわばった衣裳などを脱いで隅へ押しやり、厚ぼったい綿入れの着物を着重ねて、香炉に火を入れて、体もすっかり冷え切ってしまった者どうしが、お互いの不体裁な有様を指摘しあっている。

 細殿とは、寝殿造の廂(ひさし)の間で細長い空間です。『源氏物語』花宴巻に光源氏と朧月夜が出会う場面が弘徽殿(こきでん)の細殿でした【図1】。絵は江戸時代の絵なので、畳が敷き詰められていますが、平安時代は板敷きでした。

図1

 二人の局をひとつにあはせて、かたみに里なるほども住む。ひとたびにまゐりては、几帳ばかりをへだてにてあり。殿ぞ笑はせたまふ。「かたみに知らぬ人も、かたらはば」など、聞きにくく。されど、誰も、さるうとうとしきことなければ、心やすくてなむ。

(六〇 二の宮の御五十日―正月十五日)

 紫式部は小少将の君と同じ部屋を使い、どちらか一方が実家にさがっている間もそこに住んでいる。二人が同時に参上したときは、几帳を隔てにして暮らしている。そんな有様を御覧になって、殿(道長)はお笑いになる。「お互いに知らない人でも誘い入れたらどうする」と聞きづらいことをおっしゃる。でも、二人ともそんなよそよそしいことはないから、安心である。
 続いて、紫式部の同僚の弁の宰相(さいしょう)の君の局をみてみましょう。

●弁の宰相の君の局
 二十六日、御薫物あはせはてて、人々にもくばらせてたまふ。まろがしゐたる人々、あまたつどひゐたり。上よりおるる途(みち)に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞぎたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑、いろいろの衣(きぬ)に、濃きがうちめ心ことなるを上に着て、顔はひき入れて、硯の筥(すずりのはこ)にまくらして、臥しやまへる額つき、いとらうたげになまめかし。絵にかきたるものの姫君の心地すれば。

(七 廿六日、御薫物あはせはてて)

 26日、御薫物の調合が終わってから、中宮さまはそれを女房たちにもおくばりになられる。お香を練り丸めていた人々がおすそわけにあずかろうと、御前に大勢集まっていた。

 中宮さまの御前からさがって部屋へもどる途中、弁の宰相の君の部屋の戸口をちょっとのぞいてみると、お昼寝をなさっているときであった。萩や紫苑などとりどりの色目の袿に、濃い紅のつややかな打衣を上におおって、顔は襟の中にひき入れて、硯の箱に頭をもたせて横になっていられる、その額のあたりがとてもかわいらしくなよやかで美しい。まるで絵に描いてある物語のお姫さまのように思われた。

 紫式部は、御前から帰る途中に、同僚の局をのぞきこんでいます。無防備ともいえる住まいの様子です。続いて、中宮彰子の御前をみてみましょう。

●中宮彰子の御前
 その夜さり、御前にまゐりたれば、月をかしきほどにて、はしに、御簾の下より、裳の裾などほころび出づるほどほどに、小少将の君、大納言の君など、さぶらひたまふ。御火取に、ひと日の薫物とうでて、こころみさせたまふ。御前の有様のをかしさ、蔦の色の心もとなきなど、口ぐちきこえさするに、

(九 薫物(たきもの)のこころみ―同日の夜)

 その晩、中宮さまの御前に参上したところ、月がきれいで、お部屋の端近には、御簾の下から裳の裾などがこぼれ出るほどにして、小少将の君や大納言の君が控えていらっしゃる。大勢の女房が御簾の内に座り、御簾の下から装束の裾がこぼれ出ている様子です。

図2

●渡殿 土御門殿における紫式部の局
 中宮彰子のお産で、土御門殿(つちみかどどの)に同行します。紫式部は、渡殿(わたどの)を局にしていました。そこに、藤原道長がやってきます。

 渡殿の戸口の局に見出せば、ほのうちきりたるあしたの露もまだ落ちぬに、殿ありかせたまひて、御随身召して、遣水はらはせたまふ。
 橋の南なるをみなへしのいみじうさかりなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさしのぞかせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、わが朝がほの思ひしらるれば、「これ、おそくてはわろからむ」とのたまはするにことつけれ、硯のもとによりぬ。
 おみなへし さかりの色を 見るからに 露のわきける 身こそ知らるれ

(二 朝露のおみなえし)

 渡殿の戸口のそばにある私の部屋で庭の方を眺めやると、うっすらと霧がかった朝の葉末の露もまだ落ちないころなのに、殿はお庭を歩き回られて、御随身(みずいしん)をお呼びになって遣水のとどこおりをお除かせになる。
 やがて渡殿の橋の南側に咲いている女郎花(おみなえし)の花の真っ盛りなのを一枝お折りになって、それを私の部屋の几帳越しに上からさしかざされる。
 そのお姿のまことにこちらが恥ずかしくなるほどご立派なのに引きかえて、私の寝起きの顔の見苦しさが思い知られるので、「この花の歌、遅くなってはよくないだろうな」と、殿が仰せられたのをよいことにして、硯のそばへにじり寄った。

 道長は早朝に、女郎花の花のさかりの一枝を、几帳越しに紫式部に渡します。寝起きの紫式部は、硯のそばへ行き、歌を詠みます。女郎花の露を含んで今を盛りの美しい色を見たばかりに、露が分けへだてをして付いてくれない盛りをすぎたこの身の上が、つくづくと思い知られることでございます。
 早朝からの道長の来訪でしたが、寝起きにもかかわらず、早々と歌を詠んでいます。渡殿とは、建物と建物をつなぐ屋根のある廊下です(図3・図4)。図3は反橋のようになっており、透渡殿(すきわたどの)といいます。下には遣水という水が流れています。
 絵巻に描かれた渡殿は吹きさらしになっていますが、紫式部の局は、御簾が下がり、格子(こうし)などの建具が入っていました。

図3

 

図4

 

●道長の来訪
 道長は、夜にも紫式部の局を訪問しています。有名な水鶏(くいな)の場面です。

 道渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、おそろしさに、音もせで明かしたるつとめれ、
 夜もすがら 水鶏(くひな)よりけに なくなくぞ まきの戸ぐちに たたきわびつる かへし、
 ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかに くやしからまし

(五六)戸をたたく人

 渡り廊下にある部屋に寝た夜、部屋の戸をたたいている人がいる、と聞いたけれど、恐ろしさにそのまま答えもしないで夜を明かした。その翌朝に、殿より、

 夜通し水鶏がほとほとたたくにもまして、わたしは泣く泣く槇の戸口で、戸をたたきながら思い嘆いたことだ(道長)

 ただではおくまいとばかり熱心に戸をたたくあなたさまのことゆえ、もし戸をあけてみましたら、どんなにか後悔したことでございましょうね(紫式部)
 槇の戸口とは、渡殿にある妻戸(つまど、開き戸)です。不審な音に紫式部が恐がっていた様子が記されています。

●斉信(なりのぶ)らの不謹慎な来訪
 図5は、藤原斉信(なりのぶ)と藤原実成(さねしげ)が昇進のお礼を中宮彰子に申し上げる途中、渡殿の東の端にある宮の内侍の部屋に声をかけている様子です。
 斉信たちは、桟(さん・鍵)のしていない蔀格子(しとみごうし)の上側を押し上げて、格子の下をはずさせようとします。「不謹慎なことだ」と、紫式部は止めようとしています。

図5

●頼通の素敵な来訪
 道長の息子である藤原頼通も来訪しました。
 しっとりとした夕暮れに宰相の君と話していると、道長のご子息が来て、簾のはしを引き開いてお座りになり、男女にまつわる話をしんみりとしています。
 あまりうちとけた話にならない程度のところで、「おおかる野辺に」(女郎花が多い野辺に宿を取るなら、根拠もなく浮気だとの評判がきっとたつだろう)とうたってゆかれたさまは、物語のなかの男君のようでした。
 女房の局を訪ねても、あまり長くならないうちに退散するのがたしなみであったようです。華やかな宮中生活で女房たちは、渡殿の一角で共同生活をしていました。床の下を流れる遣水や女郎花など、水や草花と近い暮らしぶりが伝わってきます。

 

引用図版
図1 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)「源氏物語図色紙」(花宴)東京国立博物館蔵、土佐光吉筆
図2 民族衣裳文化普及協会蔵
図3・4 「年中行事絵巻」巻三(大妻女子大学図書館蔵)
図5 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)「紫式部日記絵巻」(模本)東京国立博物館蔵 井芹一二模、大正8年(1919)、原本:鎌倉時代・13世紀
主な参考文献
日本古典文学全集『紫式部日記』小学館
萩谷朴『紫式部日記全注釈上・下』角川書店、1973年
赤澤真理『御簾の下からこぼれ出る装束―王朝物語絵と女性の空間』ブックレット書物をひらく19、2019年。