「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

街かど古典カフェTown corner Koten Cafe

講師を囲み、趣のある空間で、
古典をより深く、より掘り下げて学ぶ
贅沢な講座です。
パリの街かどで見かけるカフェのように
親しく議論を進めましょう。

「街かど古典カフェ」2018年春

 

平成30年度「『街かど古典カフェ』Ⅰ・春季講座」
明治150年記念「近代日本古典にたどる幕末維新」

平成30年は、明治元年から150年の年にあたります。18世紀後半から19世紀末にかけて、若者が海外に留学し、知識を吸収して学んだ知識を活かしながら、西洋の真似ではない日本の文化をつくり上げていきました。近代化に羽ばたく、5人の人物が取り組んだ歴衆生の証言であると同時にすぐれた幾つかの文章を読み解く連続講座。

「咸臨丸難航図」木村喜昭氏寄贈
横浜開港資料館所蔵

1 日時
平成30年5月26日、6月2日、16日、23日、30日 ※いずれも土曜日
14時~15時30分

2 会場
下鴨神社 公文所(京都市左京区下鴨泉川町59)

3 定員
100名(申込多数の場合は抽選)

4 受講料
8,000円(5回通し・お茶菓子付)

5 講座内容 第1回, 杉田玄白(すぎたげんぱく)蘭学事始(らんがくことはじめ)(5月26日)
ためらいながらも少しづつ西洋科学への好奇心に目ざめ、西洋文明の積極 攝取(せっしゅ) へと向かってゆく一学徒の心理。(岩波文庫)

第2回, 渡辺崋山(わたなべかざん)鴃舌或問(げきぜつわくもん) 』 『 慎機論(しんきろん)(6月2日)
主として医学へと向かっていた「蘭学」を、西洋列強のアジア侵略の急激な圧力「外患」のもとで、一気に「洋学」へと押しひろげた武士知識人の危機意識。(岩波文庫)

第3回, 今泉(いまいずみ) みね 『名ごりの夢』(6月16日)
江戸の蘭学の名門桂川家(七代目 甫周(ほしゅう) )の一人娘として1855年(安政2年)築地に生まれたみねが回想する、幕末江戸の大川端の夕焼けの空。幼いみねをおんぶして自宅に連れて行ってアメリカみやげをくれた福沢(諭吉)さんのお背中が大きかったことをはじめ、大勢の優秀な愉快な門人たちの表情。「まるで夢のようでございますねえ」と回想する 老媼(ろうおう) の語り口そのものが、もう一つの幕末を彷彿とさせる。(平凡社、東洋文庫)

第4回,福沢諭吉 『 福翁自伝(ふくおうじでん) 』 「故 大槻磐水(おおつきばんすい) 先生五十回 追遠(ついえん)(ぶん)(6月23日)
故郷中津藩の息苦しさを嫌い、その故郷に自分の足で砂をかけて長崎の蘭学塾に向かった福沢青年。幕末3回の洋行から慶応義塾、西洋事情、学問のすすめなど、へと、ペリー来航を「一線の血路」としてみずから運命を切り開いていった眉目秀麗の知的エリート、その「颯々」たる姿。1876年(明治9年)本郷の大槻邸で催された大槻 玄沢(げんたく) (磐水)五十回忌の集会で、日本洋学の代表として彼が読んだ「追遠の文」は、幕末=明治の思想史の骨格を把えた稀代の名文。(岩波文庫及び岩波『福沢諭吉選集』第12巻)

第5回, 久米邦武(しめくにたけ) 編述 『特命全権大使米欧回覧実記』(明治4年~6年)(6月30日)
明治新政府が派遣した旧武士集団50名による米欧文明研究の報告書。その周到な観察と旧日本への真摯な反省、豊かで鋭い感受性、そしてみごとな漢文訓み下し体の文章。私はこの「実記」を日本人による西洋研究の空前絶後の金字塔と呼ぶ。徳川文明はこの使節団に 収斂(しゅうれん) し、明治日本はこの大冒険から出発した。(岩波文庫 全5冊)

6 講師プロフィール 芳賀徹(国際日本文化研究センター名誉教授・東京大学名誉教授)

1931年生まれ。東京大学教養学部卒。東京大学院比較文化博士課程修了・文学博士。東京大学教養学部教授、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター教授、京都造形芸術大学学長、岡崎市美術博物館、静岡県立美術館の館長を歴任。1997年紫綬褒章、2006年瑞宝中綬章、2009年京都府文化賞特別功労賞を受賞、2012年京都市文化功労者表彰。
おもな著書に『大君の使節』、『渡辺崋山・優しい旅びと』、『平賀源内』(サントリー学芸賞)、『絵画の領分』(大佛次郎賞)、『与謝蕪村の小さな世界』、『みだれ髪の系譜』、『詩歌の森へ』、『藝術の国日本-画文交響』(蓮如賞)ほか。近著に『文明としての徳川日本:一六〇三-一八五三年』(筑摩選書)。