「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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古典の日絵巻 第十巻:京の美を担う次世代の作家たち

古典の日絵巻「第十巻:京の美を担う次世代の作家たち」をお届けいたします。 今年度は12回に亘り、それぞれのジャンルで活躍される作家の皆さんから、ものづくりやお仕事にかける想いを綴っていただきます。伝統と先端の間に立って挑戦し、誕生するものとは一体どのようなものでしょうか。作家の皆さんの手によって誕生するまでの知っているようで、知られなかった世界をお話いただきます。

第7回

八木 隆裕(やぎ たかひろ) 開化堂6代目

1974年生まれ。1997年京都産業大学外国語学部英米語学科卒業。同年、アミタ株式会社に入社。2000年より開化堂。創業当時より作り続けてきたお茶筒の技術習得に励む傍ら、BtoBからBtoCへと客層を変え、また国内のみならず海外の市場へと積極的に展開する。ロンドンを皮切りに、台湾、北米、ヨーロッパに展開後、ここ最近はアジアにも力を入れる。世界のお茶関係を中心に、デザイン関係、インテリア関係へと展開。顧客には世界のセレブリティも多数。2012年より京都の伝統工芸を担う同世代の若手後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成し、国内外で伝統工芸を広める活動を行う。

 2000年、実家の家業を継ぐために、それまで働かせてもらっていたところから戻ってきました。元々は工芸のお仕事なんかあかんようになるので、他の仕事しなさいと言われてきた。今思うと親父としても自分の子供に自分と同じ苦労をさせたくないと言う思いもあったのではないか?とも思います。

 職人(工芸)の世界、皆さんの想像通り見て覚えろの世界です。親父の教え方も若い職人には教えるけど、息子には教えない。なんでなんでやねん!と思っていた記憶があります。今になるとわかるんです。なぜその理由を言わなかったのか?その時に言われていたら?言われただけで簡単にわかるようなら誰でもできる仕事だったんです。

 僕の覚えないといけないことは開化堂らしいこと、今でも開化堂らしいってなんや?って言われたら一言では答えられません。言葉で教えられて伝えられる部分なんて、ほんの表層のこと、根っこの部分を学ぼうと思ったら、自らが動いて学ぼうとし、何かにつけて考え続けること、感じ続けることをしないと学べなかったんです。なので親父は教えなかったんやないかな?といまは思います。


2、3、4代目と今アメリカに住む90歳のおばさん


3代目・4代目


4代目の作業風景


4代目と幼い日の6代目


5代目と将来の7代目(?)

 話は変わりますが、僕が小さい頃はおじいちゃんとよく過ごしていた。親父たちは仕事で忙しいから、一代飛んで、おじいちゃんとかと一緒にいることが多かった。うちのおじいちゃんは何かちょっと楽しいことを普段の生活に入れてくることが大好きでした。
 例えば京都に結構厳しい水泳教室があったんですが、一回泳いで走って帰ってきて、また飛び込む、そんな教室、そこが終わったらへとへとなんですが、おじいちゃんは、その近所にあったまぁちょっと高いアイスクリーム屋さんでソフトクリーム買って、敬老乗車券でバスで帰るか、タクシーで帰るか?って聞いてくるんです。子供なんで当然ソフトクリームを選ぶわけなんですが、まんまとしんどさを楽しさに変えて、生き方を教えてくれてたのかもしれません。

 そんなおじいちゃんと一緒にいたものですから、多分今の茶筒を変えてコーヒー缶作ったり、茶筒のスピーカー作ったりしている様なうちがちょっと楽しいことをやっているのは、そこで自然と覚えて行ったことをやっているのだと思います。

 そう思うと、今僕がやっている工芸のものづくりは、I じゃなくて WE なんやないかな?と思います。自分自身の思いとかだけで作るんじゃなく、時間軸の多様性をしっかりと持った世代も越えた WEとしてのものづくりだと感じます。
時間軸だけやなくて、作る人と使う人の間のWEでもあります。うちは金属ですが、木や土を使う職人さんを考えると自然と人間の間のWEでもあります。

 でもやはりこの時代を生きた、仕事をした証を残したいって気持ちもどっかにある様に思います。まだまだ職人としては若いからかもしれません。この時代やからできたことそんなことにも少しは挑戦したいと。なので、今自分がやっていることを考えると、大文字のWと大文字のEの間に、小文字のiを入れたWiEくらいのことをやっているかもしれません。

 でも最終次の代に渡す時は、この小文字のiをWとEに溶け込ましてWEとして次の代には渡さないといけないと思ってます。もしWとEを顕微鏡なんかで見たら、溶け込ませた小さなiの集合体でできてるんかもしれません。

 実は開化堂のお茶筒、4代目と今と見た目は一緒でも違うところがあります。それは蓋の勘合具合です。今と昔では開け閉めの仕方が少し変わっています。昔は蓋の角を持って、変形しないように開けていた。いまはペットボトルとかに慣れているからなんでしょうか、横からつかんで開ける方が多い。横から持つと開かない、蓋の角を持つと勝手に落ちてくるくらい開けやすい。今はまだ上を持って開けてくださいねってみんなに伝えられていないので、こう横から持たれても気持ちいいなぁと思えるような開け閉めの具合に調整してます。でもただ単に緩めているわけではないんです。気密性は保ったまま、開け閉めの具合だけ調整してます。

 外観は全く変わっていないのですが、道具として使う感覚は今の人に合わせているんです。そういうことの積み重ねが次へと継ながっていくのかな?と感じています。


おじいちゃんとひいおばあちゃん

 茶筒を145年作り続けていてて、100年前と同じものづくりをしています。ものづくりを大きく変えて発展させて行くことで生き残るというより、小さな振動を繰り返して次へ次へと進んで行くことによって生き延びてきたと思っています。少し離れてみるとそれは一本の線に見えるかもしれません。でも近づいて見ると茶筒という一本のラインの中心に高速で反復横飛びしながら進んでいるイメージかもしれません。

 親父は良く言うています。あそこ相変わらずやったはるけど、その相変わらずって難しいんやぞと。相変わらずやることは同じことをやっているだけではじわじわと下がっていきます。下がらないように何かをやり続けること、そこには自分だけやなく、お客さん、次の世代、そして自分たちの祖先のやってきてくれたことを考えてやって行くことが大事なのかな?と考えています


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「私のこの一作」

響筒(きょうづつ)

工業と工芸の間のものづくりができました。一度に多くの人に届けられる工業と、ひとつひとつに向き合う工芸。普段は合い入れないふたつの業種が4年の歳月をかけてようやく融合することができました。