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「古典の日」からとっておきの情報や
こぼれ話などをお届けします。
古典の日絵巻 第十巻:京の美を担う次世代の作家たち
古典の日絵巻「第十巻:京の美を担う次世代の作家たち」をお届けいたします。
今年度は12回に亘り、それぞれのジャンルで活躍される作家の皆さんから、ものづくりやお仕事にかける想いを綴っていただきます。伝統と先端の間に立って挑戦し、誕生するものとは一体どのようなものでしょうか。作家の皆さんの手によって誕生するまでの知っているようで、知られなかった世界をお話いただきます。
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3月 江里 朋子 截金作家
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2月 平井 恭子 木版画摺師
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1月 羽田 登喜 染色工芸家
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12月 種田 真紀 絵付師
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11月 山本 茜 截金ガラス作家
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10月 八木 隆裕 茶筒職人
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9月 青山洋子 和菓子職人
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8月 杉本晃則 塗師・島本恵未 蒔絵師
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7月 小倉智恵美 竹工芸作家
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6月 伊東庄五郎 御所人形師
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5月 諏訪蘇山 陶芸家
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4月 吉岡更紗 染色家
第3回
伊東 庄五郎(いとう しょうごろう) 御所人形師
昭和46年、有職御人形司伊東久重家の長男として生まれる。高校生の頃より家業の手伝いを始め、大学卒業後、会社勤務を経て24歳で御所人形師の道に入る。10年後、初めての作品を発表。39歳の時に銀座和光にて初個展。以後、各地で展覧会を開催する。令和元年、伊東家の後嗣(こうし)名である庄五郎を襲名。同志社女子大学非常勤講師
そんな家に生まれた私も今年で50歳になりました。家業に入ったのが24歳の時でしたので、思えば人生の半分以上を人形師として過ごしてきたことになります。
御所人形はわかりやすく言うと「江戸時代に京都の御所から公家や門跡寺院、大名家などに下賜された人形」で、さらに「三頭身で白い肌が特徴の子供の姿をしたふくよかな人形」ということになりますが、後者は学術的に分類するために定義された外観上の特徴といえるでしょう。
草刈童子(江戸時代享保年間)
初代庄五郎が家の守り神として制作。病除けの願いを込め家の玄関に置いたところ周りの者は疫病にかからなかったといわれている。伊東家が家業を人形制作とするきっかけとなった人形。
桐の木
伊東家では江戸時代より伐採後30年以上乾燥させた桐の木を素材として用いている。国内産の目が細かく詰まった良質なものを選び、自分が使った分は次代のため補充しておく。
約1年をかけて制作する御所人形ですが、まずは「粗彫り」と呼ばれる工程から始まります。粗彫りは御所人形制作においては基本中の基本ともいえる工程で、私の場合はこの粗彫りのみを約10年もの間、朝から晩までひたすらやり続けました。最後の工程となる「顔描き」までには数多くの工程を経なければならないのですが、制作の基本となる作業をひたすらこなしたという微かな自信が今の自分を支えているのかもしれません。伝統的な技法を習得し、自分の個展を開催するまでには家に戻ってから15年の月日が経っていました。このコロナ禍で世の中の価値観が変わる、とよく言われていますが御所人形も例外ではないのかもしれません。人形は「見る人の心をうつす」ものだと考えています。私も伝統的な技術を習得した上での新たな表現への挑戦は積極的に行っています。
粗彫り
幾種類もの彫刻刀を使い、顔の細かな表情まで木の段階で彫っておく。制作の基本中の基本ともいえる非常に大事な工程。
胡粉塗り
上彫りの後、天気の良い日を選んで筆で胡粉を塗っていく。地塗り、中塗り、上塗りと配合を変え、最終的に50回ほど塗り重ねる。
顔描き
磨き上げた人形の肌は墨をはじくため、ごく薄い墨から描きはじめ、徐々に濃いものに変えていく。数ある工程の中でも、最も集中力が必要とされる工程。
十六葉八重表菊印
寛政二年(1790)、光格天皇より拝領。現在では皇室に納める人形にのみ捺印する。
伊東家は寛政二年(1790)に光格天皇から「十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)」印を「入神の作に捺すよう」という言葉とともに賜っています。よく言う「入魂」つまり「魂が入る」人形ではなく「入神」つまり「神が入る」人形。今後の人生をかけても達成できるかわからない究極の目標ですが、そんな人形を作るために精進し続けることが、この先の自分自身の成長につながっていくのではないかと感じています。時代が平成から令和になるタイミングで後嗣名「庄五郎」を襲名しました。日頃から支えてくださる皆様に感謝し、先祖の歩んできた道程を振り返りながら先の時代に歩みを進めていけるよう技術と精神を鍛錬していかねばと心を新たにしております。