フォーラムForum
古典の日フォーラム2022
古典の日に関する法律制定10周年記念・文化庁京都移転記念
「古典の日フォーラム2022&琉球王朝の華 組踊」を開催いたしました
日時:令和4年10月31日(火)午後2時~4時
場所:京都劇場
古典の日推進委員会が永年の目標としていた「古典の日」の全国展開の第一歩を踏み出しました。全国持ち回りで開催している国民文化祭の今年度の開催地沖縄から、重要無形文化財「組踊」を上演していただきました。なんと、このフォーラムに参加いただいた81%が琉球舞踊や組踊を初めて鑑賞し、89%の方が「感動した!良かった!」と回答くださいました。上演くださった伝統組踊保存会は、組踊の保存継承のため次世代を担う伝承者育成、また全国を行脚して普及活動に取り組んでおられます。このフォーラムにお越しくださった方から一人でも組踊のファンの方が出ていただけますことを願っています。これからも「古典の日」は、全国と手を結び、その素晴らしい日本の古典を紹介していきます。
◇テーマ曲「古典の日燦讃」と「古典の日宣言」
演奏 大谷祥子と六条院楽坊
大谷祥子(箏)饗庭凱山(尺八)祝丸(太鼓・鳴り物)
藤林由里(ピアノ)平山美萌(ヴァイオリン)徳安芽里(チェロ)
宣言 山原優喜(第13回古典の日朗読コンテスト「京都府知事賞」受賞者/浪速高等学校)
「古典の日に関する法律」の制定10周年を記念して大谷祥子氏に作曲いただいた古典の日のテーマ曲。2度目のお披露目です。
◇登壇者のご紹介
前列左より
【来賓】
衆議院議員 勝目康
京都府議会議長 菅谷寛志
京都市会議長 田中明秀
宇治市議会議長 堀 明人
後列左より
【主催者】
古典の日推進委員会会長 村田純一
〃 特別顧問 都倉俊一(文化庁長官)
〃 副会長 西脇隆俊(京都府知事)
〃 副会長 門川大作(京都市長)
〃 副会長 松村淳子(宇治市長)
〃 副会長 塚本能交(京都商工会議所会頭)
◇主催者挨拶
古典の日推進委員会会長 村田純一
「古典の日に関する法律」が公布・施行されて10周年となる記念の年に、本フォーラムが文化庁と共催となりました。2023年の文化庁の京都移転を契機に密接な協力体制を築き「古典の日」の全国展開に努めます。若い人たちが古典に関心を持ち、古典を生き生きとしたものとして伝承していくため、これらの古典文化活動への取り組みへの支援として古典の日文化基金賞に「未来賞」を新設し、今年、3つの団体に賞を贈りました。これからも「古典の日に関する法律」に掲げられている目的を念頭に、「古典の日」がより一層全国に広がり普及するよう努めます。(要約)
文化庁長官 都倉俊一
2023年3月27日に文化庁は京都で業務を開始します。この節目に、文化庁は今回から共催という立場で「古典の日」の全国展開に向けた取り組みを推進します。文化庁の京都移転の目的の一つは、文化の力で地域を豊かにすること。今後、京都から全国に向けて、古典をはじめ文化芸術の多様な価値を発信し、我国の文化の継承、発展に向け新たな取り組みを力強く進めます。(要約)
◇来賓祝辞
衆議院議員 勝目康
「古典の日に関する法律」が公布・施行され10年という節目。次の年に文化庁が京都にやってくる。古典の日を定めた時からデザインされていたのではと思える見事なタイミングです。文化とは何かを考えたとき、私どもは建物、寺社仏閣あるいはさまざまな舞台芸術、文学といったものを文化だと捕らえがちですが、これらはある種の表現物、有形無形の文化財で、私達はその奥にある心の部分を感じて感動します。まさに心の部分こそが文化ではないか。『源氏物語』から千年。私達には、永きに亘って欧米西欧とは違う美意識、感性を育んできた歴史があります。明治維新以来150年、東京から中央省庁が京都にやってきます。その役所が文化庁。まさに心の政策を司るといっても過言ではありません。文化庁の京都移転がただの京都の地域活性化と捕らえるのではなく、私達が育んできた、大切にしてきたものを日本に世界に発信する拠点にする。そういう意味で新しい文化政策の拠点にしていかなければなりません。このフォーラムを皮切りに「古典の日」が11年、12年と未来に向けて歩みを進めていく。日本全国、そして世界に我国の豊かな古典文化が広がり、大切にしてきたものが守られ、育ち、未来に繋がっていく一時になればと願います。(要約)
沖縄県知事 玉城デニー
沖縄県復帰50周年の記念すべき年を迎え、世界のウチナーンチュ大会や首里城復興イベントなどさまざまな行事を開催しています。中でも文化庁との共催で現在開催中の国民文化祭「美ら島おきなわ文化祭2022」は、約1か月あまりに亘る文化の祭典として、県内各地で行われ、沖縄の伝統文化を全国に向けて発信しています。これを機会に全国との文化交流がさらに深まることを願っています。組踊は、琉球王朝であった時代、中国からの使者である冊封使をもてなすために琉球の伝統芸能を集大成し、創作されたといわれ、琉球王朝の格式高い華やかな歌と踊りで魅了する伝統芸能です。去る沖縄戦に於いて廃虚となった沖縄から伝統芸能を復活、継続するのが難しい中、先人達は並々ならぬ努力をし、組踊を再興し、継承してきました。沖縄が本土復帰した1972年、昭和47年に組踊が国の重要無形文化財に指定され、この節目の年に組踊を京都で上演できることを嬉しく思います。(要約)
◇琉球王朝の華 組踊
Ⅰ.琉球舞踊
演目解説 宜寿次力(沖縄県教育庁文化財課)
沖縄が琉球といわれた時代、国王が代わるごとに中国から国王を承認するための使者がやってきました。これを冊封といい、少ない時で400人、多いときで600人のお供を従えて中国からやってきました。彼らは春の季節風を利用して中国の福州から帆船に乗り、1週間から10日かけて琉球に辿り着きました。国王の代替わりの儀式が終わった後も秋の季節風を待つのですぐには中国に帰ることができず、およそ半年の間琉球に滞在しました。琉球王国は冊封使の滞在中、彼らをもてなすための多くの芸能を創作しました。冊封使の船が新しい国王に授ける王冠を携えていたことから冊封使を歓迎する宴で演じる芸能を「御冠船踊」と言い、近代に創作された新しい踊りに対して古典舞踊と言われています。
本日、ご紹介する古典舞踊は「老人踊」「若衆踊」「二才踊」「女踊」の4つに分類されます。
地謡 歌・三味線 西江喜春 仲嶺伸吾 照喜名朝國 玉城和樹
箏 宮城秀子
笛 大湾清之
胡弓 川平賀道
太鼓 比嘉聰
〇老人踊「老人老女」
踊り 川満香多 田口博章
扇子を持った翁と扇を持った媼が登場し、かぎやで風節にのって踊ります。この歌と踊りはたいへんめでたいものとされており、祝宴などでは必ず最初に歌い踊るたいへん有名な踊りです。ご来場の皆さまの健康とご多幸を祈念して幕明けの踊りとしました。
〇若衆踊「若衆こてい節」
踊り 宮城茂雄 玉城匠
若衆とは元服前の少年のことで若衆踊は花形の踊りでした。「若衆こてい節」も祝いの踊りで、笛と太鼓のリズムに合わせて登場した若衆が扇子を持って踊ります。太鼓は場を神聖なものに清めるとされ、歌詞は古今和歌集の源宗干が詠んだ「ときはなる松のみどりも春くれば 今ひとしほの色まさりけり」を改作したものと言われています。
〇二才踊「下り口説」
踊り 上原崇弘
二才とは青二才。つまり若い青年のこと。琉球の歌は、八・八・八・六という偶数を基本とする琉歌のリズムですが、この踊りで謡われている口説は、七五調や七七音といった奇数を基本とした和文調子の歌です。このことからも琉球の芸能が日本本土の文化や芸能の影響を受けたことを窺い知ることができます。踊りには、沖縄で生まれた空手と共通する所作も見られ、若者らしい溌剌とした動きに注目。薩摩での公務を終え琉球に帰るまでの船旅の様子を謡ったものです。久しぶりに見る首里城と迎えの人を目にした喜びなどが大きな所作で表現されています。右手に旅を示すチーグーシと呼ばれる小さな杖を持って踊ります。
〇女踊「天川」
踊り 新垣悟
女踊は、構えや足の運び、目のあて方、手や指のこなしなど、独特の技法があります。わずかな動きいわば最小限の所作で最大の感動を与えるところに女踊の魅力があります。曲目も恋をテーマにしたものが多く、恋心を躍っているといってもよいでしょう。「天川」は、池の畔で仲良く遊ぶ鴛鴦のように縁あって夫婦になったのだからいついつまでも添い遂げましょう、と永遠の愛を誓った歌詞に沿って踊ります。この踊りはものを持たずに躍る手躍りです。踊り手の艶やかな手の動きをじっくりとご鑑賞ください。
◇琉球王朝の華 組踊
Ⅱ.組踊「執心鐘入」
立方責任者 嘉手苅林一
地謡責任者 西江喜春
配役 中城若松 宮城茂雄
宿の女 新垣悟
座主 嘉手苅林一
小僧 川満香多
田口博章
玉城匠
黒子 上原崇弘
演目解説 宜寿次力(沖縄県教育庁文化財課)
琉球舞踊も平成21年9月に芸能の総合認定として、12件目の国の重要無形文化財に認定されました。沖縄県からは組踊に続いて2件目です。昨年、琉球舞踊の立方で初めて重要無形文化財に指定され女性2人の人間国宝が誕生しました。今回の伴奏者にも人間国宝がいらっしゃいます。舞台後ろの幕は筒描きという技法で制作された紅型幕です。松竹梅に鶴亀の吉兆柄が描かれためでたいもので組踊の舞台を厳かに引き締めています。沖縄では伴奏者と呼ばず、地謡または地方と呼んでいます。本日は歌・三線4名、箏、笛、太鼓、胡弓の合計8名で演奏します。沖縄の音楽というと、まず三線(さんしん)の音色を思い浮かべると思います。しかし、箏、笛、太鼓、胡弓も琉球古典音楽には欠かせないものです。
衣装にも注目してください。黒朝(くるちょう)といわれる着物に幅広の帯を締め、はちまきと呼ばれるかぶりものを頭に載せています。琉球王国時代、芸能家は当時の役人にあたる士族階級でした。地謡の服装は当時の芸能家の正装、礼服ということになります。
地謡の歌・三線の西江喜春さんは、国指定の重要無形文化財人間国宝(組踊音楽歌三線)です。箏は沖縄でクトゥ、笛はファンソーと言います。胡弓はクーチョー、太鼓は比嘉聰、重要無形文化財人間国宝(組踊音楽太鼓)です。組踊の地謡というのは単なる伴奏ではなく舞台上の人物の心情や心の動きをセリフや所作以上に歌と演奏で表現するたいへん重要な役割があります。沖縄では今でも組踊を見るとは言わず、組踊を聴くというほどです。組踊は琉球の言葉による演劇で、歌や舞踊を伴う音楽劇です。また、全員男性の芸能家によって演じられるのが特徴です。琉球王国時代中国からの使者、冊封使をもてなすことは国家の威信をかけた一大行事でした。琉球王国は、1718年国家の行事を取り仕切る役職である踊奉行に玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)を任命。玉城朝薫は伝統芸能を集大成し、さらに日本の能や歌舞伎も取り入れ組踊を創作しました。翌年の19年冊封使式典の後に行われた祝いの場で初めて組踊が上演されます。組踊が創作、上演されてから300年以上の時を経ていますが、組踊は玉城朝薫の後も創り続け、現在ではおよそ70演目が残っています。
〈あらすじ〉
美少年としてその名を知られた中城若松が登場します。若松は旧王国の都、首里に向かう途中で日が暮れてしまい山奥の一軒家に泊めてほしいとお願いします。しかし、この家の女は親が留守なので、宿泊させることはできませんと一度は断りますが、相手がかの有名な美少年中城若松であることを知ると喜んで家に招き入れます。安心して眠りについた若松でしたが、夜中に家の女が忍び込んできます。若松はこれを拒みますが、女はなおも若松に迫ります。恐ろしくなった若松は女を振り切って宿を逃げ出すのです。この内容は安珍清姫伝説に基づくものです。「執心鐘入」は歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」、人形浄瑠璃の「日高山入相花王」でお馴染みの「安珍清姫伝説」の組踊版ということになります。さて、救いを求めて寺に駆け込んだ若松はいったいどうなるでしょうか。
◇ご挨拶
組踊特別鑑賞会京都公演団長 山城 曉
日本文化の中心地、千年、二千年という歴史を感じるこの地で組踊を紹介できたことを光栄に思います。本日は文化庁長官もいらっしゃるということで沖縄を出るときから緊張し、ちむどんどん(胸がどきどきわくわくすることを言うそうです)がどうにも止まらないという状況でした。沖縄で発祥したコメディを文化庁や沖縄県の指導を受けながら毎年6会場で開催している特別観賞会です。おそらく初めて組踊を観られた方も多いかと思います。いかがでしたでしょうか。(拍手)組踊は300年の歴史があり、伝統組踊保存会は国の指定を受けた保持者が71名、そのうちの5名が人間国宝となっています。時代を担う研修生が伝承者として約170名。日々、コメディの継承発展に向けて、誇りを持ちながらがんばっています。私達の大きな目的は、全国に組踊のファンを増やすことで、本日もその一環です。「執心鐘入」は1719年に首里城で初めて演じられた演目です。組踊は仇討物、世話物、恋愛物とかまだまだたくさんございますので、次の機会に是非ご覧いただき、この会場の皆さんが組通のファンになってほしいと願っています。最後に皆さんのご健勝と京都市のますますの発展、平和を祈願して挨拶といたします。