フォーラムForum
古典の日フォーラム2017
古典の日フォーラム2017「五周年記念式典」を開催いたしました
平成24年9月5日に「古典の日に関する法律」が制定され早いもので5年を迎えました。
将来に向けた人材育成や、文化的に豊かな生活を目ざしすことを目的とした今年度のフォーラムでは、京都堀川音楽高等学校オーケストラ部の生気溢れる演奏や伊東知穂さん(第8回古典の日朗読コンテスト大賞受賞者)の「古典の日」宣言の読み上げ等、若い皆さんの活躍が注目を浴び、1700名を超えるお客様をお迎えしてのフォーラムとなりました。日時:平成29年11月1日(水) 午後1時30分~4時20分
場所:国立京都国際会館 メインホール
開幕演奏 モーツァルト作曲 行進曲K249
指揮 藏野雅彦
京都市立京都堀川音楽高等学校
ノーベル賞授賞式のファンファーレで演奏される曲を演奏していただきました。さぁ、軽やかなリズムで「古典の日フォーラム2017」の開幕です。
古典の日宣言
第8回古典の日朗読コンテスト大賞受賞者 伊東知穂
会場のひとりひとりに古典に親しむことの意義を語りかけてくれた伊東さんの「古典の日宣言」。「古典とは何か」をあらためて胸に刻みつけてくださった方も多いのではないでしょうか。
あいさつ
古典の日推進よびかけ人代表 裏千家十五代・前家元 千玄室
本日、古典の日制定五周年記念の日を迎えたことを大変喜ばしく感じております。十年以上前、アメリカコロンビア大学で講義を行った際、知日派の重鎮ドナルド・キーン氏から、最近の日本は古典から遠ざかってしまっていると辛口の意見を頂きました。その話を作家の瀬戸内寂聴氏に話したところ、『源氏物語』が『紫式部日記』に記された日から千年となる2008年11月1日を記念し、日本の古典作品を再認識する日としたらどうかと提案され、哲学者の梅原猛先生をはじめ多くの方から賛同を得たことが事の起こりです。私たちは、古典に親しむことで日本が営々と育て続けてきた伝統文化を後世に伝え、世界へも発信していきたいと考えております。
あいさつ
古典の日推進委員会会長 村田純一
平成20年11月1日、天皇皇后両陛下のご臨席を仰いだ「源氏物語千年紀」式典で「古典の日」が宣言されました。「揺れ動く世界のうちにあるからこそ、私たちは、いま古典を学び、これをしっかりと心に抱き」とあります。現代の不安定な世界情勢下で、古典の役割を力強く宣言したものです。11月1日を「古典の日」とし、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能等の普及活動を続け、平成24年には「古典の日に関する法律」が制定されました。本日は、この法律が制定されてから5周年の記念すべきフォーラムです。今後とも、京都移転が決定した文化庁との協力を深め、「古典の日」の全国展開のお役にたてればと考えています。
おことば
彬子女王殿下
古典はとかく難しく考えられがちです。しかし『源氏物語』や『方丈記』など最初はなんだか呪文のように思えていた言葉が、繰り返しているうちにまるで音楽のように心にすっと入ってきて、その情景がふんわりと浮かんできます。古典作品の魅力は、物語の時代背景に思いをはせ、登場人物たちの気持ちに寄り添って美しい大和言葉を読むことにより、思わぬ時間旅行ができることです。ただ、古典を顧みているだけでは、文化の未来はありません。夏目漱石や森鴎外の名作のように、現代の文学作品もやがて古典と呼ばれるようになっていきます。古典を学ぶと同時に、未来の日本に残す古典をつくっていくことも考えていかなければならないと考えます。
演奏 ベートーヴェン作曲 交響曲第5番ハ短調「運命」
指揮 藏野雅彦
京都市立京都堀川音楽高等学校
リレートーク「古典をいだき 古典に抱かれて ~私のおすすめ、この一作~」
コーディネイター 三宅民夫
※京都新聞朝刊11月25日(土)掲載文より
『喫茶養生記』
古典の日推進よびかけ人代表 裏千家十五代・前家元 千玄室
鎌倉時代初期、将軍源実朝が深酒で体調を崩しているのを見た禅僧栄西が、体調回復を期してお茶の効能や製法を詳しく記し献上した著書が『喫茶養生記』です。栄西は2度中国を訪れた際に茶種を日本に持ち帰り、高山寺の高僧明恵上人に紹介、日本の風土にも合っていたことから同寺や宇治地区などに茶の文化が広まっていきました。その後、規範を重んじる禅宗の教えと共鳴した茶道が武士道を支える教養として発展していったことも見逃せません。古典はなかなか読みづらいものですが、読むと「あ、ここがこうか」「あ、それでこんなに体にお茶が効くのか」と納得できますので、ぜひ『喫茶養生記』をお薦めします。
仕舞「鶴亀」
古典の日推進委員会特別顧問 文化庁長官 宮田亮平
私が生まれ育った新潟県佐渡島は、例えば承久の乱後の順徳上皇、あるいは法難に遭った日蓮宗宗祖日蓮聖人など教養人が流罪となって渡って来たことで古典を含め文化的要素が育まれました。私は幼少のころ、文化の象徴・白扇と経済の象徴・そろばんのいずれを選ぶかを父に聞かれ、前者を選びましたが、結局、長く文化活動に縁を持つことになりました。五歳の時に習った仕舞「鶴亀」は私の古典の原点です。日本が誇る古典を通じ、現代社会へつながる普遍的文化が発展することを祈っております。
『和の意匠にみる文様の名の物語』
古典の日推進委員会アドバイザー 和紙作家 堀木エリ子
伝統工芸の背景には、自然に対する畏敬、命への祈りなど、優れた職人たちが持っている揺るぎない日本の美学があります、『和の意匠にみる文様の名の物語』には伝統文様の詳細が記されています。例えば、隣同士の縦線が交わらずに近づいたり遠くなったりする立涌柄は、人間関係を適度な距離感で円滑に保つことを示し、七宝文様の円の柄には、個々人の良い部分が重なり合うことで円満社会を築こうとする願いが込められています。日常生活にあふれる古典の文様に目を向けていただければと思います。
『源氏物語』~葵の帖~
古典の日推進委員会副会長 京都府知事 山田啓二
例年5月15日に開催される上賀茂・下鴨神社の葵祭では、斎王代以下女人列が厳粛に巡行します。同じ場面は『源氏物語』九帖「葵」にもありました。六条御息所は、儀式を執り行う光源氏の姿を忍び見ていたところ、正妻葵の上に気付かれた上に車を追い立てられ、それを恨みに生霊となって現れるようになります。私たちは千年前の『源氏物語』に描かれた雅な世界を今も見ることができます。京都は街そのものが古典の舞台であり、古典への理解を深めるには、京都が持つ伝統文化を守り、育てていくことも重要な要素になると考えます。
「鳥獣人物戯画」
古典の日推進委員会副会長 京都市長 門川大作
世界における漫画文化の原点は、高山寺所蔵の国宝「鳥獣人物戯画」にあるといわれています。平安末期、鳥羽僧正覚猷の筆と伝えられるが作者不詳であるこの絵巻は、通常ある詞書きのない謎の多い作品です。絵巻には、カエルとウサギが戯れたり、協力したりして何かを成し遂げようとする場面を大胆に、面白おかしく描き出しています。最近では、漫画が外国人の日本文化を理解しようとするきっかけにもなっているようです。また、若い人たちにとって、漫画『あさきゆめみし』は古典『源氏物語』に通じる入口にもなっています。文化・経済・観光を同時に振興している京都の発展に漫画も大きく寄与することでしょう。
『源氏物語』~宇治十帖~
古典の日推進委員会副会長 宇治市長 山本正
『源氏物語』は我国のみならず海外でも高く評価されている古典文学の最高峰です。千年の昔に書かれた作品ですが今もその輝きを失っていません。全五十四帖のうち最後の十帖は『宇治十帖』ともいわれます。主に宇治を舞台に、光源氏の血を引く薫や匂宮などが登場する物語になっています。宇治市では、物語ゆかりの「散策の道」の整備、女流文学を表彰する紫式部文学賞の創設のほか、瀬戸内寂聴氏を名誉館長にお迎えし、1998年、宇治市源氏物語ミュージアムを開館しました。宇治市には宇治川の悠久の流れに加え、宇治上神社や平等院という世界遺産もあり、訪れた人々は平安時代を偲ばせる情景を満喫できるでしょう。
連続講演Ⅰ「私と古典 ~わが青春の都の風~」
ヴァイオリニスト 松尾依里佳 聞き手 三宅民夫
京都は悠久の歴史の空気を感じることができる特別の場所で、日本の宝であると感じています。
小学校2年生の時に、「多くの人が幸せなってくれる曲がつくれたら」と将来ヴァイオリニストになることを目ざしたようです。母の「思えば叶う」という教育で、嫌にもならず、そしてぶれずに続けてくることができました。
日本の古典の最初の出会いは、小学校の時の家庭教師の先生が薦めてくださった『源氏物語』を漫画として描いた『あさきゆめみし』です。美しい絵のタッチで、今とは違う花鳥風月を愛でる生活、平安時代の魅力に心を奪われました。むずかしいと思われがちな古典も、向かい方、使い方ひとつで、漫画といえどもよいとっかかりとなります。この本との出会いは幸せなことでした。
このフォーラムの前にもう一度読み直しみて、光源氏の情の篤さ面倒見がよい方であることをあらためて感じました。ただのプレイボーイではありませんでした。『源氏物語』にはたくさんの女性が登場しますが、一番心に惹かれたのは紫の上です。教養があり、女性として気配りや優しさを備え持ち、その存在だけで周りが華やぐ方です。光源氏だけを信じて、添い遂げた一途さにも惹かれます。
音楽の心の一作は、バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」です。小さい時から弾き続けている作品ですが、バッハが表現したかったことに探りを入れて弾いてみるのは、何度そこに戻っても新しい気づきがあります。バイオリンは石造りの空間等で弾くことを前提としている西洋楽器ではありますが、日本の木造建築の中で演奏すると木造と共鳴したり、京都の空気を吸収して、とても魅力的な経験ができる時間です。来年の2月に赤ちゃんを出産される予定の幸せに溢れた松尾さんから、新たな古典の発見のできる素敵なお話をお聴きしました。
連続講演Ⅱ「私と古典 ~古典そして古文書の威力~」
国際日本文化研究センター准教授 磯田道史
古典を広い意味で捉えると、昔書かれた書物、そして今も読み継がれる書物。転じていつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物のことで、千年越えても記録として文字に残ることはすてきなことで後世にまで影響が残ります。
古典学習は2つの意味を持ち、1つは「古典を学ぶ」。文化の教養常識を共有することです。日本でいうならば教科書的要素を持つ『枕草子』、『徒然草』、『方丈記』を少年期にしっかりと読んで知識を集積することです。例えば夏目漱石の『吾輩は猫である』冒頭部分の文章のリズム感覚を小さい頃から身に付けることは非常に大切なことだと考えます。
もう1つは「古典に学ぶ」。自分の歴史(過去認識)を持つということです。古典や古文書を読み解くことで自分の家、地域、会社の歴史を調べることができ、考える力が養われます。他の個体や他の地域、学問でできた出来事を自分の生き方に活かして前よりも賢い生き方ができるようになるのは文字を持つ人間だからできるのです。古典がない、歴史がないものは動物と同じで、古典に学ぶということが大切なのです。
これから人工知能の時代になると一層古典が重要となります。例えば目的とルールが決まった将棋や囲碁は人工知能に負けてしまいます。ところが、目的とルールが決まっていないような新アイデア、発想がこれからの仕事でたいへん重要となります。発想というのは知識と知識が組み合わさって出来上がります。遠くの時間、空間が遠い知識と知識を結合されて新アイデアが生まれ、そこから富や価値が生まれる時代です。時空を飛び越え、空間を飛び越えるために、古典が非常に重要な時代となるのです。
わたしは小さい頃に、自分の家の古文書に出会い、国家の歴史とは違う家族の歴史に疑問を持ちました。過去に対する自分の認識が生じて、それを解読することに感動し、古文書の魅力に取りつかれました。皆さんにも古文書の威力、そして古文書は過去を観る解像度という概念をもっていただきたい。あらゆるものが記録に残されたおかげで、例えば忍者の行動、天皇の食事、元号の決め方、ご崩御直前のカルテ等も古文書を読み解くことでわかるのです。古典の威力です。
最後に、古典というのは小さい時、若い時には知識を集積する役目があり、壮年期にいたっては考える力だと考えます。ですから「古典を学ぶ」だけで終わるのではなく、自分が疑問を持ったことは過去に遡ってレファレンスして、歴史認識の解像度を高め、発想を得てみようとすることが大切なのです。磯田さんの小さな時に持った疑問が、古文書をどんどんと読みたいという方向に結びつけたのです。事細かなことまで、あらゆるものが記録として残りました。古典の威力の絶大さです。しかし、記録として残っているだけでは何もなりません。古典を教訓として考える力を養い、遠い知識と現在の知識を結合してこそ古典の威力が発揮できるのです。