「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

フォーラムForum

古典の日フォーラム2016

 

「古典の日フォーラム2016」を開催いたしました
日時:平成28年11月1日(火) 午後1時30分~4時30分
場所:ロームシアター メインホール

ここであらためて「11月1日」は何の日かご存じですか?その通り11月1日は「古典の日」です。『紫式部日記』に、寛弘5年11月1日の時点で、宮中の多くの人が『源氏物語』を読んでいたことがうかがえる記述があったことから、私達はその日を「古典の日」の法制化に向けた運動を推進し、平成24年9月5日に「古典の日に関する法律」が異例の早さで、めでたく制定されました。
さて、「古典の日」の法律制定5年目を迎えた「古典の日フォーラム2016」は、第7回古典の日朗読コンテストで大賞を受賞した坂戸咲野さんの「古典の宣言」音吐朗々とした読み上げで開幕し、『源氏物語』が宿す日本文化の美と思想をあらためて現代に蘇らせ、次世代に継承する重要性を感じさせるフォーラムとなりました。

今年のテーマは『源氏物語』

◇記念講演「源氏物語と嵯峨」

古典の日推進よびかけ人、作家 瀬戸内寂聴寂聴先生は嵯峨にある寂庵におられます。
静かな夜になると『源氏物語』の嵯峨の場面に登場するいろいろな音が聴こえ、その声が身に迫り『源氏物語』を現代語訳することになったそうです。『源氏物語』は、光源氏の物語のように思われていますが、紫式部は源氏を書いたのではなく、彼が愛した女達のことを書いたものであると寂聴先生は考えておられます。源氏に愛された女はその喜びを感じながらも、殆どが苦しみを味わい、その末に出家するという運命をたどります。しかし、その中で「明石の君」だけはさまざまな苦しみを味わいながらがも出家しなかったのです。それはなぜか。(『源氏物語』をぜひ読んでください)その明石が住んでいた嵯峨に今、自分が住み、『源氏物語』に近づいているのが必然の運命であったのではないかと、お話くださいました。
最後に寂聴先生からのメッセージです。  「是非『源氏物語』を読んでください。原文を読むのは難しいけれども林望さんのはわかりやすい、私が書いたものもわかりやすい。それを読んでくださいね。」

◇記念対談「私と古典 〜歌舞伎の家に生まれて〜 」

中村勘九郎(歌舞伎俳優) 聞き手 井上あさひ(NHK京都放送局アナウンサー)
※記念対談では彬子女王殿下にお出ましいただく予定でしたが、おじい様にあたられます
三笠宮崇仁親王殿下の服喪のため、ご欠席となりました。

 彬子女王殿下と勘九郎さんの出会いは、彬子女王殿下が歌舞伎を愛し、勘九郎さんのお父さまである勘三郎さんのファンであったことから、親子で演じられた連獅子を観に来てくださったことに始まり、その後も歌舞伎を続けて鑑賞されるなど、家族ぐるみで親しくされています。

今日は、勘九郎さんに大好きな歌舞伎への想いを熱く熱く語っていただきました。

  勘九郎さんにとって、父、勘三郎さんの存在は、父として師として、それは想像を超えるものでした。父のように舞台で輝いている人になりたい。同じ舞台に立ち、同じ空気を吸いたい。そんな憧れの父の姿を見て役者になりたいと思われたそうです。

伝統の継承について

江戸時代から続く歌舞伎の名作は、現在までどのくらい演じられてきたのかわかりません。残ってきた訳は、それを継承する勘九郎さん達が、文字に込められた想いを読み解き、先輩から肉体と肉体をとおして伝承し、その芸をお客様に提供する重圧を日々感じながら、精進を重ね、今もそれに向き合われているからです。言葉の端々から歌舞伎への真摯な姿勢が伝わってきました。

新しい挑戦について

今つくりだす作品が、この先100年、200年後に継承されているならば、それは古典作品と言われることでしょう。そんな新しい名作を生みだし挑戦していきたい。映画や舞台に挑戦し、歌舞伎を観たいとの声が聞こえれば、地方に赴く。初めて歌舞伎に接する方には、最初が肝心で、本物の歌舞伎の面白さを伝える。裾野を広げる努力を惜しまない姿がありました。

彬子女王殿下と「心游舎」の活動について

お能や歌舞伎、クラシック音楽は難しいと思われたり、行く機会がないものの一つです。「心游舎」の活動をとおして、本物に触れる大切さを伝える取り組みがなされています。笛の音はどんな音がするんだろう。畳での生活を知らない子ども達。障子を通すやわらかな日差し。彬子女王殿下と共に、そんな日本の佳き暮らしの文化を体験できる活動ができたらいいな、と語っていただきました。

◇詩篇交響曲「源氏物語」より「朧月夜」「葵上」「幻」(ピアノ伴奏版)

作曲/千住明 作曲/松本隆
お話:千住明
ソプラノ:内藤里美 テノール:松本薫平 ピアノ:小柳るみ
詩篇交響曲「源氏物語」は、古典の日推進委員会が源氏物語千年紀を機に、『源氏物語』をテーマとした楽曲を後世に残そうと、作曲を千住明さんに、作詞を松本隆さんにお願いしたものです。序曲、終曲と光源氏の生涯がまとめられた歌詞をソプラノ、テノールが歌う声楽8曲とで構成されています。   今回は、全曲の中から3曲を上演していただきました。光源氏をテノールの松本薫平さんが演じ、「葵上」ではソプラノの内藤里美さんが六条御息所と紫上、二人の女性を演じてくださいました。詩篇交響曲の中でも最後の曲となる「幻」をお二人で。会場の皆さまには、情緒豊かな詞から想像をふくらませて聴いていただきました。

◇基調講演「『源氏物語』そのさまざまな味わい」

『源氏物語』のおもしろさについて

江戸時代、本居宣長による『源氏物語玉の小櫛』には『源氏物語』がなぜ優れているのかが適確に書かれています。生涯『源氏物語』が好きで好きでたまらなかった宣長。その理由として、『源氏物語』は、飾り立てることのない、ありのままのヒューマニティ、心の揺れ動き、矛盾すべてを描きだしていることが他の種々の物語りと違いで、それがよいと書かれています。

『源氏物語』にある形容詞の使い分け

紫式部がどれだけ細かな心づかいをもって形容詞を使い分け、登場人物を描きだしたか。多くの登場人物の個性は、さまざまな形容詞を正確に使い書き分けることによって描きだされているそうです。例えば「夕顔」はらうたし。「葵上」はうるはし。「末摘花」はいとう。「玉鬘」はなつかし、等です。謹訳『源氏物語』五十四帖すべてを口語訳された時、この使い分けられた形容詞をいかに注意深く現代語訳されたか、是非、美しい言葉で書かれた先生の著書をお読みください。

『源氏物語』は紫上の物語

『源氏物語』の中で「幻」の巻は、源氏が紫上を失った心の痛手が十二ケ月にわたって書かれています。紫上がいかに源氏に愛され、源氏にとってなくてはならない大切な人であったのかが書かれた鎮魂歌だったのです。最後に林望先生にその追憶の名場面を朗読していただきました。「…添い臥ししていなければならないあの人は、もはやどこにもいない…隣に誰もいない寂しさは、筆舌に尽くしがたく悲しい。」

このフォーラムには、1540名もの方が来場され、盛況裡に終了いたしました。ご来場いただきました皆さま、まことにありがとうございました。
最後にチケット販売におきまして、皆さまにご迷惑をおかけいたしましたこと深くお詫び申し上げます。今後の運営につきまして諸事改善してまいりたいと存じますので、今後とも古典の日推進委員会をご支援くださいますよう、お願い申し上げます。