「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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古典の日絵巻「第九巻:古典作品で楽しむ和菓子」

『源氏物語』『枕草子』『東海道中膝栗毛』等、皆さんご存知の古典文学のどのような場面でお菓子が登場するのでしょうか?昔と今の違いは?平安から江戸時代まで、菓子の甘味はやさしく心を和ませていたことでしょう。当時の人達が、たいせつに味わっていた様子を思い浮かべながら読み進めていきましょう。ティーブレークのお供にぴったりの中山圭子さんのお話です。本棚から古典を探して読み返したくなること請け合いです。

中山 圭子

(なかやまけいこ)

株式会社虎屋 特別理事 虎屋文庫 主席研究員

東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。卒論のテーマに「和菓子の意匠」を選ぶ。
著書に『和菓子のほん』(福音館書店)『江戸時代の和菓子デザイン』(ポプラ社)『事典 和菓子の世界 増補改訂版』(岩波書店)などがある。

古典の日絵巻第九巻 古典作品で楽しむ和菓子

えくぼ上用 中村軒製

第六号 令和2年9月1日

9月 「醒睡笑」(せいすいしょう)と饅頭
株式会社虎屋 特別理事 虎屋文庫主席研究員 中山圭子

『醒睡笑』とは「眠りを醒(さ)ます笑い」という意味。題名そのままに本書は笑話集で、落語のネタ本としても知られています。編纂したのは浄土宗の僧、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん・1554~1642)。序文によると策伝は、隠居の身の70才にして、子供の頃から書き留めていた笑い話を8巻にまとめてみたそうです。今回は、巻5の「人はそだち」に見える饅頭の話の大筋をご紹介しましょう。

大名の屋敷で能が演じられたときのこと。たくさんの見物人が集まり、

入れない者は塀の外で囃子(はやし)だけを聞いていました。 昼過ぎ、見物席に饅頭が振舞われますが、投げられた一つが塀の外に落ちてしまいます。

山奥に住む者が見つけ、「天人の卵であろう、あたためて雛をかえそう」と綿に包み、

懐に入れて持ち歩いたところ、幾日もたつと青くなってしまいました。 「恐ろしい卵だ、雛になる前に殺そう」と恐る恐る矢じりで突き、

見るや「だから言わぬことではない。中に黒い血の塊があるは。」と言ったとか。

 

饅頭を天人の卵と勘違いし、青かびをふ化の前兆、中身(小豆餡でしょう)を「黒い血」と思うとは奇想天外な話ですが、400年以上も昔のことですので、その時代背景に興味がわいてきます。

そもそも饅頭は、鎌倉~室町時代に中国に留学した禅僧がもたらした点心(食事と食事の間に採る小食)の一つ。禅宗寺院から広まったもので、この笑話が語られた戦国~江戸時代初期には、少なからず知られた食べ物だったと思われます。とはいえ、同書巻7の「舞」に、小豆がたくさん入った「沙(砂)糖饅頭」を高級とする記述があることなどから、小豆餡の入った甘い饅頭は庶民にとって珍しかったと想像できます。当時、砂糖は輸入に頼る貴重品で、甘味料として豊富に使えるものではありませんでした。生まれや育ちによっては、饅頭を食べ物だとすぐにわからない人、一口食べておいしさに大感激する人がいてもおかしくないでしょう。そのように考えれば、誇張されてはいるものの、先の山奥に住んでいる人の言動もわからないわけではありません。

時代は下って江戸時代の中頃には砂糖の輸入量が増加し、全国各地で甘い小豆餡入りの饅頭が作られるようになっていきます。焼印や色づけにより、さまざまな表情の饅頭も誕生。慶事を祝う「笑顔」や「えくぼ」の名の饅頭もあることを、策伝和尚に教えてあげたいですね。

参考:鈴木棠三校注『醒睡笑(上)』 岩波書店 1986年
鈴木棠三訳『醒睡笑 戦国の笑話』東洋文庫31 平凡社 1988年

本文は、裏千家淡交会会報誌『淡交タイムス』(2016年1月号)に掲載された記事を加筆修正したものです。

 

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