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古典の日絵巻「第九巻:古典作品で楽しむ和菓子」
『源氏物語』『枕草子』『東海道中膝栗毛』等、皆さんご存知の古典文学のどのような場面でお菓子が登場するのでしょうか?昔と今の違いは?平安から江戸時代まで、菓子の甘味はやさしく心を和ませていたことでしょう。当時の人達が、たいせつに味わっていた様子を思い浮かべながら読み進めていきましょう。ティーブレークのお供にぴったりの中山圭子さんのお話です。本棚から古典を探して読み返したくなること請け合いです。
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3月 『餅菓子即席手製集』(もちがしそくせきてせいしゅう)と有平糖(あるへいとう)
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2月 『東海道中膝栗毛』とみづから
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1月 『名代干菓子山殿』(めいだいひがしやまどの)と松風
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12月 『金々先生栄花夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)と粟餅
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11月 『助六由縁江戸桜』(すけろくゆかりのえどざくら)と煎餅
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10月 『日本永代蔵』(にっぽんえいたいぐら)と金平糖
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9月 『醒睡笑』(せいすいしょう)と饅頭
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8月 『文蔵』(ぶんぞう)と羊羹
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7月 『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり)と「かいもち」(かいもちひ・掻餅)
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6月 『土佐日記』とまがり
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5月 『源氏物語』と椿餅
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4月 『枕草子』とかき氷
第十一号 令和3年2月1日
2月 『東海道中膝栗毛』とみづから
株式会社虎屋 特別理事 虎屋文庫主席研究員 中山圭子
江戸時代後期の戯作者、十返舎一九(じっぺんしゃいっく・1765~1831 )によるこの作品は、弥次さん喜多(北)さんの珍道中で有名です。享和2年(1802)から文化6年(1809)にかけて刊行された長編で、江戸から伊勢、京都、大坂に至る旅の様子が生き生きと描写されています。随所に饅頭や団子、うずら餅といった菓子が登場し、食欲をそそりますが、今回は「みづから」に注目しましょう。場面は京都四条の芝居小屋。幕間で、菓子や茶、番付絵本(ばんづけえほん)※を売る商売人の声が聞こえます。
「みづからうぢやま※※、みづからうぢやま 、まんぢうよいかいな」
「茶アあがらんかいな。ちやゝどふじやいな」 「ばん付ゑほん、ばん付ゑほん(中略)」
喜多「アゝたいくつだ。一ツぱいのみたくなった」
弥次「おらア腹がへりまの大根※※※だ。くはし(菓子)でも買てくをふ」 (七編上)
この後、喜多さんは饅頭を買い、「みづから」の味や形状については触れられないまま、話題は変わってしまいます。実は六編上の伏見の船着き場でも「みづから」は売られているのですが、ここも呼び声のみ。一体どのような菓子だったのでしょう。同時代の式亭三馬の『浮世床』(二編巻之下)の台詞によると、「みづから」は昆布をおもしろく結んだもので、カリカリと噛み潰すと、山椒の味がしたとか。
その詳しい製法については、時代が遡りますが、『古今名物御前菓子秘伝抄』(1718)が参考になるでしょう。昆布を水につけた後、小さく四角に切り、朝倉山椒を包み、細く切った昆布で結び、天日で干す旨が出ています。朝倉(兵庫県養父市)付近から採れる香気の強い山椒を使うところが美味しさの秘密かもしれません。
名前の由来については、山椒の辛味が効いているので、見なくても聞いただけで辛いことが思い出される「不見辛」の意ともいわれます。笑いを誘うネーミングですね。
「みづから」は、古くは『松屋会記』の永禄2年(1559)4月18日にも茶会の「菓子」として記録されています。その後も作り続けられ、江戸時代後期には『東海道中膝栗毛』にあるように、船着き場や芝居小屋で売られるなど、親しまれたわけですが、いつの間にか作られなくなってしまったとは残念なこと。市販の昆布や山椒を使い、自家製の「みづから」を作ってみるのも楽しいかもしれません。
※芝居の場面の絵を主体に、解説も入れた冊子。 ※※「宇治山」で干菓子の一種か。 ※※※練馬(ねりま)の大根をもじったもの。
参考:『東海道中膝栗毛』日本古典文学大系62 岩波書店 1958年
『浮世床 四十八癖』新潮日本古典集成(新装版) 新潮社 2020年
本文は、裏千家淡交会会報誌『淡交タイムス』(2015年5月号)に掲載された記事を加筆修正したものです。
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