「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」

こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。

赤澤 真理

(あかざわ まり)

大妻女子大学家政学部ライフデザイン学科准教授。博士(工学)。
日本住宅史・日本建築史専攻。
源氏物語絵などの物語絵巻に描かれた住まいの文化史について研究。
『源氏物語絵にみる近世上流住宅史論』(中央公論美術出版)
『御簾の下からこぼれ出る装束-王朝物語絵と女性の空間-』(平凡社)
『住吉如慶筆伊勢物語絵巻』(思文閣出版)(共著)
『伊勢物語造形表現集成』(思文閣出版)(共著)刊行予定
日本建築学会奨励賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞。

八月号

「小野雪見御幸絵巻(おのゆきみごこうえまき)」にみる皇太后歓子(こうたいごうかんし)のおもてなし

●雪の美しい朝
 暑い日が続いていますが、今月号では、雪の美しい朝の歓子のおもてなしについて、みていきましょう。
 寛治5年(1091)雪の美しい朝、白河院(1053―1129)は、雪見を思い立ちました。比叡山の麓の小野の里にいる皇太后(後冷泉院の后、藤原歓子)を訪れようと考えました。
 院の随身(ずいじん)の1人が、急なことで、小野の宮では用意が整わないだろうと心配し、小野の里に駆けつけて、これを知らせました。このお話を描いたのが「小野雪見御幸絵巻」で、原本は鎌倉時代13世紀に制作されました。

●皇太后歓子の打出の準備
 随身の知らせを聞いた皇太后は、院をむかえる準備をはじめます。紅の薄様(くれないのうすよう/すこしずつ色が薄くなる)の打出は、十具(じゅうぐ)しかありませんでした。これだけでは、寝殿の柱間の数に不足するので、皇太后は、装束の背をさいて、柱間の数にあわせるように指示しました。
 宮にお仕えする女房の一人が、「室内へ入ったらどうしましょう」と心配します。皇太后は、「雪を御覧になるためにおいでになるのだから、室内に入ることはないだろう」といわれます。打出を切らせて柱間の数に合わせて、殿舎を飾りました。

●白河院の来訪
 白河院がおこしになると、御車を階隠(はしがくし)の間にすえられました。打出の衣が美しく飾られています【図1】。

図1

 寝殿の西側から汗衫(かざみ)をきた童女が折しきに金の盃(さかづき)をのせ、紺瑠璃の御皿に大柑子(おおこうじ、今の夏ミカンか)を盛ったのをささげて、雪の上に降り立ちました。

 同じ姿の童女は、銚子(ちょうし)に御酒を入れてやってきました。絵巻に描かれた二人の童女の装束は、汗衫という裾を長く引いた後宮奉仕の童女の正装を表現しています。

 次に、裳唐衣(もからぎぬ)姿の女房がやってきます。扇で顔をかくして、松の枝に紅にてつつみたるものをつけたのを持って、御車に参りました【図2】。

図2

 そのとき、雪が降り、松の枝にふりかかります。おもむき深い様子でした。白河院は、室内へお入りにならず、これらを御覧になり、満足してお帰りになりました。

●後日の御礼
 次の日、打出の衣などのおもてなしの謝礼として、美濃国(岐阜県)の庄の券(財産権を表わす証券)が皇太后に贈られましたが、皇太后は院の来訪を教えてくれた随身に、この券を贈りました。

●打出の衣の表現
 本絵巻の原本は、東京藝術大学美術館に所蔵され、鎌倉時代13世紀に制作されました。掲載の図は、東京国立博物館に所蔵される19世紀の模本です(画面右側の御簾が塗られていないのは、省略のためのようです)。
 寝殿に置かれた打出の数は、はっきりとはわかりませんが、十四つほどありそうです【図3】。

図3

 

 『雅亮装束抄』(まさすけしょうぞくしょう)(平安時代後期)には、「寝殿の柱間に二具を出す」とありますので、一般的な寝殿造の柱間が三間~七間とすると、その倍の数である六具~十四具必要になります。「小野雪見御幸絵巻」の十四具は、適度な数として表現されています。

●階隠の間
 白河院が車を置いた階隠の間は、建物の階の前に二本の柱を立てた庇(ひさし)のことをいいます。中央の階段である階(きざはし)が、雨に濡れないよう設けています。
 簀子(すのこ)とよばれる縁側に付く高欄(こうらん)にも、うっすらと雪がかかり、庭の松にも雪がのっています。開放的な寝殿造の空間は、こうした雪の日に、さぞ寒かったことかと思われます。

●女房の心配事
 話をさかのぼり、院の来訪を聞いた女房の一人が、「室内へ入ったらどうしましょう」と心配していました。これは、どういうことだったのでしょうか。
 打出の衣は、室外と室内に置かれていました。「装束の背を切り、外側だけを飾ると、室内がみすぼらしいことにならないか」心配していたのです。
 御簾の下からこぼれ出る女房装束は、院へのおもてなしのひとつだったのです。白い雪に、打出の紅(べに)の色が映えて、美しい光景が想像されます。

図4(図1 打出部分拡大)

 

引用図版
図1・図2 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
参考文献
村重寧「小野雪見御幸絵巻」日本大百科全書(https://japanknowledge.com/)
宮次男「小野雪見御幸絵巻」『続日本絵巻物全集17』(角川書店、1980年)
河北騰『今鏡全注釈』(笠間書院、2014年)
赤澤真理『御簾の下からこぼれ出る装束―王朝物語絵と女性の空間―』ブックレット書物をひらく19、平凡社、2019年
「小野雪見御幸絵巻」の詞書(ことばがき)及び『今鏡』は十具、『十訓抄』は三具、『古今著聞集』は五具と、もともとあった打出の数が異なります。