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古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」
こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。
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十二月号 源氏物語絵にみる光源氏の垣間見(かいまみ)
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十一月号 歌合・絵合における女房の出衣
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十月号 「源氏物語絵巻」柏木(三)にみる薫の生誕五十日のお祝い
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九月号 『紫式部日記』にみる紫式部の局
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八月号 「小野雪見御幸絵巻」にみる皇太后歓子のおもてなし
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七月号 「駒競行幸絵巻」にみる彰子の座
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六月号 「栄花物語」女性の賀宴に示された女房の袖口
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五月号 庭園にみる「八橋」の意匠-京都仙洞御所の場合
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四月号 源氏物語の場合に示された女房の袖口
七月号
「駒競行幸絵巻(こまくらべぎょうこうえまき)」にみる彰子(しょうし)の座
●高陽院(かやのいん)における競馬(くらべうま)
6月号では、御簾の中に座った女房たちの様子をみましたが、后(きさき)や女院(にょいん)などの女主人はどのように座ったのでしょうか。
鎌倉時代に制作された「駒競行幸絵巻」(和泉市久保惣美術館蔵)をもとに、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となった彰子の座った場所に注目してみましょう(図1)。
図1 |
絵巻に描かれているのは、平安京の内裏近くにあった関白左大臣藤原頼通(よりみち)の邸、高陽院です。庭には数カ所の池があったとされ、競馬を行う馬場(ばば)がありました
万寿(まんじゅ)元年(1024年)9月19日に催された競馬に、一条天皇中宮の上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)、その子の後一条天皇と東宮敦良親王 (とうぐうあつながしんのう/のちの後朱雀天皇)、出家した藤原道長や公家が招かれました。
邸に到着した天皇と東宮、上東門院彰子が着座すると、女房たちが御簾の下から装束を覗かせます。この装束を見せるようにしたことが、打出(うちいで)、打出(うちいだし)、出衣(いだしぎぬ)とよばれています。また、頼通ほかの公卿たちが高欄(こうらん)から垂らす長い裾(きょ)で空間を演出しています
●彰子の座所
宮の女房の有様、寝殿の西南面(にしみなみおもて)より西の渡殿(わたどの)まで、すべていとおどろしう、紅葉襲(もみじがさね)色をつくりしたり。(『栄花物語』こまくらべの行幸)
大宮の女房の有様は、寝殿の西南面から西の渡殿にかけて、およそじつに仰々しく、着ている紅葉襲の装束は色とりどりであった。
彰子はどこに座っているのでしょうか。女房装束の打出が居並ぶなか、几帳だけが出ている場所があります(図2)。これはいったい何を表しているのでしょうか。
図2 |
4月号でも紹介した、図3を参考に見てみましょう。
図3 |
ここでは几帳の左右に打出が出ていますが、図2のように打出で飾られた空間に、几帳だけが置かれた場合、その奥には高貴な女性がいた可能性があります。すなわち、彰子が座っていたことが窺われます。
彰子の座った前の庭に、白菊が描かれています(図4)。駒競行幸の翌日の後宴に、彰子を寿いで、白菊の歌が詠まれました。ここで描かれている白菊は、彰子の存在を暗示していると指摘があります。
図4 |
この和泉市久保惣記念美術館が所蔵する「駒競行幸絵巻」をじっくりと見ますと、彰子の座である几帳部分には、女房の装束を塗りつぶしたかのような痕跡がのこっています。「女院の座には几帳が出る」というルールを知って、絵師が描き直したものではないかと、私は考えています。
「駒競行幸絵巻」(和泉市久保惣記念美術館蔵)には、江戸時代後期に模写された「補定駒競行幸絵巻(ほていこまくらべぎょうこうえまき)」(狩野晴川院筆、東京国立博物館蔵)がありますが、彰子の座に女房装束の痕跡はありません(図5)。
図5 |
絵巻の人々の座を試みに描くと図6のようになります。
※画像をクリックすると大きい画像が表示されます。
図6 |
「補定駒競行幸絵巻」には、原本では失われた競馬がおこなわれている場面が描かれていて、東側五間、西側二間に女房装束の打出が描かれています(図7)。絵巻の中の別の場面では、几帳だけが出ている部分があります。彰子の観覧席だったのでしょうか(図8)。
図7 |
図8 |
「駒競行幸絵巻」の原本が描かれたのは、平安時代からすこし時代がくだった鎌倉時代でした。「女院の座には几帳がでる」というのは、平安時代後期から鎌倉時代の人々が共通する理解であったようです。
平安時代後期に原本が描かれた「年中行事絵巻」(大妻女子大学図書館蔵)にも、女房装束のなかに、几帳だけが出ている部分があります(図9)。
図9 |
本絵巻は、高倉天皇が父の後白河上皇の住む法住寺殿(ほうじゅうじどの)を描いています。天皇が父や母の邸に訪問する行事で、お正月に開催されました。画面右側に、几帳と女房装束が描かれています。天皇の母である女院の存在が几帳で暗示され、お付きの女房たちの装束が御簾からこぼれ出ているものと考えられます。
鎌倉時代に書かれた書からは、御簾からのぞかせた女房装束(打出)が特定の身分の人に許された特別なしつらいであり、女房の座る所であることが説明されています。 打出は、大臣家以上、納言以下は出さない。院及び関白家が賀茂詣(かものもうで)のとき、大臣家が祭りの使いを出発するとき。院に后がいないとき、関白家には北政所がいないとき、打出を出さない。いわゆる女房がいるかいないかによる。袖の彩りが出るためである。居所には主人が着ていなくても、伺候(しこう)する者に袖を出させることがある。(『三条中山口伝』鎌倉時代中期) 御簾から出された女房装束は、女院や后、北の方などの女房に許されたしつらいでした。女房が女主人の存在をあらわすために、華やぎをそえていたのです。
図3民族衣裳文化普及協会蔵
図5・図7・図8 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
図9「年中行事絵巻」(大妻女子大学図書館蔵)主な参考文献
『栄花物語』は、『新編 日本古典文学全集』小学館から引用させていただきました。
『駒競行幸絵巻研究』和泉市久保惣記念美術館、2001年
川本重雄「寝殿造の中の女性の空間」歴博、No.151、2008年
吉住恭子「「打出」-女房装束による美の演出とその歴史的変遷」『瞬時をうつすフィロソフィー風俗絵画の文化学III』思文閣出版、2014年
赤澤真理『御簾の下からこぼれ出る装束―王朝物語絵と女性の空間―』ブックレット書物をひらく19、平凡社、2019年
倉田実「絵巻で見る平安時代の暮らし 第17回『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」の寝殿造を読み解くその1」三省堂ホームページ
「再現!姫君の空間―王朝の華やぎと輝きの世界へ」三重県斎宮歴史博物館、2021年リーフレット(河田昌之・赤澤真理・伊永陽子・森田直美)