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古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」
こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。
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十二月号 源氏物語絵にみる光源氏の垣間見(かいまみ)
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十一月号 歌合・絵合における女房の出衣
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十月号 「源氏物語絵巻」柏木(三)にみる薫の生誕五十日のお祝い
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九月号 『紫式部日記』にみる紫式部の局
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八月号 「小野雪見御幸絵巻」にみる皇太后歓子のおもてなし
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七月号 「駒競行幸絵巻」にみる彰子の座
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六月号 「栄花物語」女性の賀宴に示された女房の袖口
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五月号 庭園にみる「八橋」の意匠-京都仙洞御所の場合
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四月号 源氏物語の場合に示された女房の袖口
五月号
庭園にみる「八橋」の意匠-京都仙洞御所の場合
5月の気持ちの良い季節になりました。今月号は、御簾(みす)の外に出て、庭園にみられる八橋(やつはし)のデザインについて、ご紹介させていただきます。
「八橋」というとお菓子のイメージが強いですが、今日ご紹介するのは、水辺に架けられた橋です。初夏に、日本庭園を歩いていると、水辺に咲いた杜若あるいは、花菖蒲とジグザグとした木の橋をみかけることがありませんか【写真1】。この橋が、「八橋」と呼ばれています。
【写真1】国営立川昭和記念公園(東京 立川市)
平安時代に書かれた「伊勢物語」に、主人公・業平(なりひら)が都から愛知県の知立(ちりゅう)あたりに来た際に、歌を詠む場面があります。「伊勢物語」本文と挿絵を確認してみましょう。
そこを八橋と言ひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋と言ひける。
水の流れる河が蜘蛛(くも)の手のように八方に広がっているので、橋を八つ渡したことによって八橋と言ったのである。男たちはその沢のほとりの木の陰に馬から下りて、乾飯(かれいい)を食べた。沢に美しく咲いていた杜若を見て、そこにいた一人が「か・き・つ・ば・た」という五文字を歌の句の頭に置いて、旅の心を詠みなさい、という。男は歌を詠む。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
なれ親しんだ妻が京にいるので、遥々とやってきた旅をいっそうしみじみと感じることであるよ、と詠んだので、そこにいる人はみな涙を落とし、それによって乾飯(かれいい)がふやけたのである。
【写真2】「伊㔟物語」国文学研究資料館鉄心斎文庫蔵
【写真2】には、男が座るかたわらに、紫と白の杜若が咲いていて、ジグザグとした木の橋が描かれていることがわかります。
「伊勢物語」「八橋」の場面は、数多くの絵画や工芸、染織などの題材となりました。江戸時代になると、天皇家や大名家の邸宅に庭園が造られるようになります。庭園の中の名所のひとつとして、杜若と八橋の景色がつくられるようになりました。
江戸時代後期に書かれた庭園に関する書物である『石組園生八重垣伝(いしぐみそのうやえがきでん)』秋里籬島(あきさとりとう)著、文政10年(1827))には【写真3】、八橋について、説明が書かれています。
八ッ橋乃図 伝に曰(いわく)、川幅先(かわはばまず)拾間とあり、浅瀬の泉水なり、橋板長さ一間半、板幅壱尺弐寸を先定法(まずじょうほう)と知るべし、大小共に此割合(このわりあい)にてよし、出生は三河の八ツ橋といふ事(ことよく)ひとの知る処なり
事寂橋之部(うしゃくのはしのぶ)に発橋(はっきょう)また八橋(はっきょう)とあり、茂る芦沼の中に顕(あら)はれる板の継橋(つぎはし)なりと云々
【写真3】『石組園生八重垣伝』秋里籬島著、文政10年(1827)京都大学付属図書館蔵、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
【写真3】の挿絵に、ジグザグとした木の橋が描かれています。八橋は、浅瀬の泉水にあり、橋板は長さ2.73メートル、幅は36センチ程度が定型でした。大きな橋、小さな橋ともに、この割合とされています。横は人体の幅程度の小さな橋が想定されていました。
八橋は全国に数多く造られましたが、全国の庭園を見て歩き、おおよそ下記のような型があることがわかってきました。
【写真4】八橋と杜若 岡山後楽園フォトギャラリー
【写真4】は、岡山後楽園(岡山県岡山市)の八橋です。岡山後楽園は、貞享(じょうきょう)4年(1687)に藩主池田綱政(いけだつなまさ)によって造られた庭園で、歴代の藩主に使用されました。この八橋は、ジグザグとリズミカルに動いてるので、【②ジグザグ型】と名付けました。八橋と杜若は、1716年頃制作の絵図にすでにみられ(「御茶屋御絵図」(岡山後楽園蔵))、綱政は、若い頃に参勤交代で岡山に帰る道中で、歌枕の地に立ち寄り、和歌を詠んでいます。知立(愛知県)に赴いた際にそこに八橋がなかったことを記しています。
【写真5】津筏梁 栗林公園提供
【写真5】は、栗山(りつりん)公園(香川県高松市)の八橋です。この八橋は、「津筏橋(しんばつりょう)」とよばれています。橋板を継いでいくことから、【③互い違い型】と名付けました。栗山公園は、寛永19年(1642)に松平頼重(まつだいらよりしげ)にはじまり、5代藩主頼恭(よりたか)にいたる間、修築を重ねました。栗山公園の八橋は、19世紀前半頃の絵図にすでにみられます。
【写真6】西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)筆者撮影
【写真6】は、西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)(京都府京都市)のお庭にある八橋です。平成25年(2013)に開店した「西尾八ッ橋の里」の庭にあります。愛知県知立市にある無量壽寺(むりょうじゅじ)に伝わる故事にちなんだ「かきつばたの池」と八枚の板橋があります。こちらも板を継いでいく【③互い違い型】です。
【写真7】 国立京都国際会館(公式サイトイメージギャラリー)
【写真7】は、国立京都国際会館(京都府京都市)の八橋です。1964年に日本初の国際会議施設として、建築家大谷幸夫氏により設計されました。コンクリートの「八つ橋」です。橋杭は照明になっているそうです。
京都では、平安神宮西神苑(京都府京都市)に、6月の花菖蒲の時期だけ、【④稲妻型】の八橋が出現するそうです。
◇京都仙洞御所(きょうとせんとうごしょ)(仙洞御所とは退位した天皇(上皇)のための御所です)
最後に京都仙洞御所(京都府京都市)の八橋を紹介しましょう。江戸時代前期である17世紀の仙洞御所にさかのぼると、後水尾(ごみずのお)上皇の仙洞御所の庭には、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作事奉行(さくじぶぎょう)であった時代の八つの橋が架けられていました。
この八橋は、現在、ふじのくに茶の都ミュージアム(静岡県島田市)に復原されています【写真8】。
くすのき、杉板、竹の高欄(こうらん)(手すり)、反橋(そりはし)、丸太の橋など、さまざまな橋が8つの種類ありました。実際に歩いてみると、思いのほか、アップダウンが激しいです。【③互い違い型】の八橋などもみられます。
【写真8】ふじのくに茶の都ミュージアム提供
その後、仙洞御所は、万治4年(1661)、寛文13年(1673)、延宝4年(1676)、貞享元年(1684)、宝永5年(1708)に火災がありましたが、そのたびに復興されました。宮内庁書陵部に所蔵される絵図には、宝永年度の仙洞御所の池に、八橋が架けられており、浅瀬に杜若が咲いている様子が描かれています。
【写真9】「京都仙洞御苑図」(植栗延秋筆、国立国会図書館蔵)
【写真9】は、文化9年(1812)制作の絵とされ、八橋が描かれています。渡った先には橋殿(はしでん)という茶屋があります。この八橋は、雁が飛ぶように折れ曲がり、高欄という手すりがつくことから、【①雁行型高欄付】と名付けました。
現在の京都仙洞御所の庭園には、石造(いしづくり)の八橋があります。この八橋は、明治28年(1895)頃に架けられたとされています。長さが20メートル程ある立派な橋です。上には藤棚があり、池の近くに杜若が咲いています。
みなさんは、「八橋」をお題に、どのようなデザインで橋をかけますか。初夏の日に、庭園の八橋をみて、業平に思いをよせてみませんか。
【写真10】「京都仙洞御所 八ツ橋」宮内庁京都事務所提供
今回の絵巻の一部は、赤澤真理「建築・庭園における伊勢物語の意匠―室内装飾・庭園の「八橋」を中心として―」(河田昌之・赤澤真理・大口裕子・伊永陽子「伊勢物語造形表現集成」(思文閣出版、2024年5月刊))によるものです。ご紹介した庭園の関係者の皆様には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。
【主な参考文献】
・知立市編さん委員会編『新編知立市史 別巻(八橋編)』(知立市、2020年)
・知立市歴史民俗資料館編『描かれた八橋 企画展』図録(知立市歴史民俗資料館、2015年)
・『伊勢物語とかきつばた』図録(刈谷市歴史博物館、2022年)
・『御所 離宮の庭 京都御所 仙洞御所』(世界文化社、1975年)
・平井聖編『中井家文書の研究』第1~6巻(中央公論美術出版、1976~81年)
・万城あき『「御茶屋御絵図」と後楽園』(『岡山の自然と文化』24、2005年)
(綱政の知立訪問については、公益財団法人岡山県郷土文化財団主任研究員・万城あき氏のご教示による)
・御厨義道「栗林荘関連絵図について」(『ミュージアム調査研究報告』5、香川県立ミュージアム、2014年)
・『ふじのくに茶の都ミュージアム』(2019年)
・塚本稔『知られざる国立京都国際会館の魅力 広がるアートの世界』(リーフ・パブリケーションズ、2023年)
・谷直樹編『大工頭中井家建築指図集』(思文閣出版、2003年)
【引用図版】
・写真1 国営立川昭和記念公園提供(東京都立川市)
・写真2 「伊㔟物語」国文学研究資料館鉄心斎文庫蔵
・写真3 『石組園生八重垣伝』秋里籬島著、文政10年(1827)京都大学付属図書館蔵、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
・写真4 八橋とカキツバタ 岡山後楽園フォトギャラリー
・写真5 津筏梁(しんばつりょう) 栗林公園提供
・写真6 西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)筆者撮影
・写真7 国立京都国際会館 公式サイトイメージギャラリー
・写真8 ふじのくに茶の都ミュージアム提供
・写真9 「京都仙洞御苑図」国立国会図書館蔵
・写真10 「京都仙洞御所 八ツ橋」宮内庁京都事務所提供