「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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「古典の日」からとっておきの情報や
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古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」

こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。

赤澤 真理

(あかざわ まり)

大妻女子大学家政学部ライフデザイン学科准教授。博士(工学)。
日本住宅史・日本建築史専攻。
源氏物語絵などの物語絵巻に描かれた住まいの文化史について研究。
『源氏物語絵にみる近世上流住宅史論』(中央公論美術出版)
『御簾の下からこぼれ出る装束-王朝物語絵と女性の空間-』(平凡社)
『住吉如慶筆伊勢物語絵巻』(思文閣出版)(共著)
『伊勢物語造形表現集成』(思文閣出版)(共著)刊行予定
日本建築学会奨励賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞。

五月号

庭園にみる「八橋」の意匠-京都仙洞御所の場合

 5月の気持ちの良い季節になりました。今月号は、御簾(みす)の外に出て、庭園にみられる八橋(やつはし)のデザインについて、ご紹介させていただきます。

 「八橋」というとお菓子のイメージが強いですが、今日ご紹介するのは、水辺に架けられた橋です。初夏に、日本庭園を歩いていると、水辺に咲いた杜若あるいは、花菖蒲とジグザグとした木の橋をみかけることがありませんか【写真1】。この橋が、「八橋」と呼ばれています。

【写真1】国営立川昭和記念公園(東京 立川市)

 平安時代に書かれた「伊勢物語」に、主人公・業平(なりひら)が都から愛知県の知立(ちりゅう)あたりに来た際に、歌を詠む場面があります。「伊勢物語」本文と挿絵を確認してみましょう。

 そこを八橋と言ひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋と言ひける。

 水の流れる河が蜘蛛(くも)の手のように八方に広がっているので、橋を八つ渡したことによって八橋と言ったのである。男たちはその沢のほとりの木の陰に馬から下りて、乾飯(かれいい)を食べた。沢に美しく咲いていた杜若を見て、そこにいた一人が「か・き・つ・ば・た」という五文字を歌の句の頭に置いて、旅の心を詠みなさい、という。男は歌を詠む。

 から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

 なれ親しんだ妻が京にいるので、遥々とやってきた旅をいっそうしみじみと感じることであるよ、と詠んだので、そこにいる人はみな涙を落とし、それによって乾飯(かれいい)がふやけたのである。

【写真2】「伊㔟物語」国文学研究資料館鉄心斎文庫蔵

 【写真2】には、男が座るかたわらに、紫と白の杜若が咲いていて、ジグザグとした木の橋が描かれていることがわかります。

 「伊勢物語」「八橋」の場面は、数多くの絵画や工芸、染織などの題材となりました。江戸時代になると、天皇家や大名家の邸宅に庭園が造られるようになります。庭園の中の名所のひとつとして、杜若と八橋の景色がつくられるようになりました。

 江戸時代後期に書かれた庭園に関する書物である『石組園生八重垣伝(いしぐみそのうやえがきでん)』秋里籬島(あきさとりとう)著、文政10年(1827))には【写真3】、八橋について、説明が書かれています。

 八ッ橋乃図 伝に曰(いわく)、川幅先(かわはばまず)拾間とあり、浅瀬の泉水なり、橋板長さ一間半、板幅壱尺弐寸を先定法(まずじょうほう)と知るべし、大小共に此割合(このわりあい)にてよし、出生は三河の八ツ橋といふ事(ことよく)ひとの知る処なり

 事寂橋之部(うしゃくのはしのぶ)に発橋(はっきょう)また八橋(はっきょう)とあり、茂る芦沼の中に顕(あら)はれる板の継橋(つぎはし)なりと云々

【写真3】『石組園生八重垣伝』秋里籬島著、文政10年(1827)京都大学付属図書館蔵、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

 【写真3】の挿絵に、ジグザグとした木の橋が描かれています。八橋は、浅瀬の泉水にあり、橋板は長さ2.73メートル、幅は36センチ程度が定型でした。大きな橋、小さな橋ともに、この割合とされています。横は人体の幅程度の小さな橋が想定されていました。

 八橋は全国に数多く造られましたが、全国の庭園を見て歩き、おおよそ下記のような型があることがわかってきました。

【写真4】八橋と杜若 岡山後楽園フォトギャラリー

 【写真4】は、岡山後楽園(岡山県岡山市)の八橋です。岡山後楽園は、貞享(じょうきょう)4年(1687)に藩主池田綱政(いけだつなまさ)によって造られた庭園で、歴代の藩主に使用されました。この八橋は、ジグザグとリズミカルに動いてるので、【②ジグザグ型】と名付けました。八橋と杜若は、1716年頃制作の絵図にすでにみられ(「御茶屋御絵図」(岡山後楽園蔵))、綱政は、若い頃に参勤交代で岡山に帰る道中で、歌枕の地に立ち寄り、和歌を詠んでいます。知立(愛知県)に赴いた際にそこに八橋がなかったことを記しています。

【写真5】津筏梁 栗林公園提供

 【写真5】は、栗山(りつりん)公園(香川県高松市)の八橋です。この八橋は、「津筏橋(しんばつりょう)」とよばれています。橋板を継いでいくことから、【③互い違い型】と名付けました。栗山公園は、寛永19年(1642)に松平頼重(まつだいらよりしげ)にはじまり、5代藩主頼恭(よりたか)にいたる間、修築を重ねました。栗山公園の八橋は、19世紀前半頃の絵図にすでにみられます。

【写真6】西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)筆者撮影

 【写真6】は、西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)(京都府京都市)のお庭にある八橋です。平成25年(2013)に開店した「西尾八ッ橋の里」の庭にあります。愛知県知立市にある無量壽寺(むりょうじゅじ)に伝わる故事にちなんだ「かきつばたの池」と八枚の板橋があります。こちらも板を継いでいく【③互い違い型】です。

【写真7】 国立京都国際会館(公式サイトイメージギャラリー)

 【写真7】は、国立京都国際会館(京都府京都市)の八橋です。1964年に日本初の国際会議施設として、建築家大谷幸夫氏により設計されました。コンクリートの「八つ橋」です。橋杭は照明になっているそうです。

 京都では、平安神宮西神苑(京都府京都市)に、6月の花菖蒲の時期だけ、【④稲妻型】の八橋が出現するそうです。

 ◇京都仙洞御所(きょうとせんとうごしょ)(仙洞御所とは退位した天皇(上皇)のための御所です)

 最後に京都仙洞御所(京都府京都市)の八橋を紹介しましょう。江戸時代前期である17世紀の仙洞御所にさかのぼると、後水尾(ごみずのお)上皇の仙洞御所の庭には、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作事奉行(さくじぶぎょう)であった時代の八つの橋が架けられていました。

 この八橋は、現在、ふじのくに茶の都ミュージアム(静岡県島田市)に復原されています【写真8】。

 くすのき、杉板、竹の高欄(こうらん)(手すり)、反橋(そりはし)、丸太の橋など、さまざまな橋が8つの種類ありました。実際に歩いてみると、思いのほか、アップダウンが激しいです。【③互い違い型】の八橋などもみられます。

【写真8】ふじのくに茶の都ミュージアム提供

 その後、仙洞御所は、万治4年(1661)、寛文13年(1673)、延宝4年(1676)、貞享元年(1684)、宝永5年(1708)に火災がありましたが、そのたびに復興されました。宮内庁書陵部に所蔵される絵図には、宝永年度の仙洞御所の池に、八橋が架けられており、浅瀬に杜若が咲いている様子が描かれています。

【写真9】「京都仙洞御苑図」(植栗延秋筆、国立国会図書館蔵)

 【写真9】は、文化9年(1812)制作の絵とされ、八橋が描かれています。渡った先には橋殿(はしでん)という茶屋があります。この八橋は、雁が飛ぶように折れ曲がり、高欄という手すりがつくことから、【①雁行型高欄付】と名付けました。

 現在の京都仙洞御所の庭園には、石造(いしづくり)の八橋があります。この八橋は、明治28年(1895)頃に架けられたとされています。長さが20メートル程ある立派な橋です。上には藤棚があり、池の近くに杜若が咲いています。

 みなさんは、「八橋」をお題に、どのようなデザインで橋をかけますか。初夏の日に、庭園の八橋をみて、業平に思いをよせてみませんか。

【写真10】「京都仙洞御所 八ツ橋」宮内庁京都事務所提供

 今回の絵巻の一部は、赤澤真理「建築・庭園における伊勢物語の意匠―室内装飾・庭園の「八橋」を中心として―」(河田昌之・赤澤真理・大口裕子・伊永陽子「伊勢物語造形表現集成」(思文閣出版、2024年5月刊))によるものです。ご紹介した庭園の関係者の皆様には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

【写真1】国営立川昭和記念公園提供(東京都立川市)
【写真2】「伊㔟物語」国文学研究資料館鉄心斎文庫蔵
【写真3】『石組園生八重垣伝』秋里籬島著、文政10年(1827)京都大学付属図書館蔵、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
【写真4】八橋とカキツバタ 岡山後楽園フォトギャラリー
【写真5】津筏梁(しんばつりょう) 栗林公園提供
【写真6】西尾本店(本家八ッ橋西尾株式会社)筆者撮影
【写真7】国立京都国際会館 公式サイトイメージギャラリー
【写真8】ふじのくに茶の都ミュージアム提供
【写真9】「京都仙洞御苑図」国立国会図書館蔵
【写真10】「京都仙洞御所 八ツ橋」宮内庁京都事務所提供


【主な参考文献】
・知立市編さん委員会編『新編知立市史 別巻(八橋編)』(知立市、2020年)
・知立市歴史民俗資料館編『描かれた八橋 企画展』図録(知立市歴史民俗資料館、2015年)
・『伊勢物語とかきつばた』図録(刈谷市歴史博物館、2022年)
・『御所 離宮の庭 京都御所 仙洞御所』(世界文化社、1975年)
・平井聖編『中井家文書の研究』第1~6巻(中央公論美術出版、1976~81年)
・万城あき『「御茶屋御絵図」と後楽園』(『岡山の自然と文化』24、2005年)
(綱政の知立訪問については、公益財団法人岡山県郷土文化財団主任研究員・万城あき氏のご教示による)
・御厨義道「栗林荘関連絵図について」(『ミュージアム調査研究報告』5、香川県立ミュージアム、2014年)
・『ふじのくに茶の都ミュージアム』(2019年)
・塚本稔『知られざる国立京都国際会館の魅力 広がるアートの世界』(リーフ・パブリケーションズ、2023年)
・谷直樹編『大工頭中井家建築指図集』(思文閣出版、2003年)