「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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「古典の日」からとっておきの情報や
こぼれ話などをお届けします。

古典の日絵巻第十四巻「古典の魅力を伝え隊!~高校生が読む古典の世界~」

みなさん、こんにちは。
令和7年度は、私たち京・平安文化論ラボが、古典の日絵巻を担当いたします。私たち高校生の目線で読み解いた古典の世界を、1年間お楽しみください。

 

京・平安文化論ラボ

嵯峨野高校では、2年次に各自が選んだラボに所属して探究活動を行っています。数学、理科、法学等。その中のひとつが「京・平安文化論」ラボです。文学研究はもとより、若者の古典離れを課題とし、その課題を解決するためにどうすればよいかを探究しています。その活動の一環として企画・運営したのが『源氏物語』ゆかりの地を訪ね歩く「ちゅう源氏と巡る 源氏物語 京都スタンプラリー」です。スタンプ設置場所は、下鴨神社や上賀茂神社、野宮神社や廬山寺など京都市内全13カ所です。また、『源氏物語』の登場人物をイメージしたお菓子を私たちがデザインし、地元企業にご協力いただいて製造・販売するなど、古典に親しみ、その魅力を発信する様々な取組をしています。

8月号を担当したのは
氏名    : 日比野 優奈
趣味    : 読書・百人一首
好きな時間 : 推し活
好きなもの : スイーツ
将来の夢  : 日本中の歌枕を巡ること
8月号
紫の上との出会い

 先月号は藤壺でした。藤壺は光源氏にとって、愛してはいけない女性でありながら、好きになる気持ちを止められない、そんな女性でした。私はそんなに苦しい恋を経験したことはありませんが、光源氏にとってはいつも頭に浮かぶ女性であったのだろうな、と感じます。
 そんな藤壺への愛に悩む光源氏が、新たに見つけた女の子が紫の上でした。藤壺の姪なので、紫の上は光源氏最愛の人・藤壺にそっくりでした。
 紫の上は、10歳くらいの、とてもかわいい女の子です。光源氏は紫の上を手元に引き取り、成長を見守りました。

①つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざしいみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。

①〈訳〉顔つきがまことにいじらしく、眉のあたりがほんのりと美しく感じられ、あどけなくかき上げている額の様子、髪の生えざまが、たいそうかわいらしい。これからどんなに美しく成人していくか、その様子を見届けたいような人よと、君はじっと見入っていらっしゃる。(1)若紫 P.207

 ①です。「顔つき」「眉のあたり」「額の様子」「髪の生え方」がかわいく、大人になった時の美しさを見たい人だと、光源氏は感じます。愛らしく、聡明な様子が多くかかれています。光源氏と紫の上の様子は魅力的な兄妹のように思えます。また、人形遊びに夢中になっており、子どもっぽい様子も描かれています。その様子全てが可愛く感じられます。

②小さき御ほどに、さしやりてゆらしたまふ御手つきいとうつくしければ、らうたしと思して、笛吹き鳴らしつつ教へたまふ。いと聡(さと)くて、かたき調子どもを、ただ一(ひと)わたりに習ひとりたまふ。

②〈訳〉小さな身丈なので、背を伸ばして、絃を押えたり揺らしたりするお手つきが、まことに愛らしいものだから、君はいじらしくお思いになって、笛を吹き鳴らし吹き鳴らししてお教えになる。ほんとに覚えが早くて、むずかしい調子などを、ただ一ぺんで会得しておしまいになる。(1)紅葉賀 P.332

 ②では紫の上が琴を弾くのですが、小さな体で一生懸命に練習します。懸命に弾いている姿に光源氏は愛おしく思っています。「一わたり」、つまり一回で習得してしまう、器用さがある少女でした。賢いことを感じさせる紫の上ですが、光源氏が他所に行くときは恋しく思うか聞くと、こくりと頷く様子も描かれていました。このように、紫の上の幼少期はとても賢く、かわいらしい様子で、他の女性との関係に悩んでいる光源氏を癒していたと思いました。
 光源氏には葵の上という正妻がいましたが、夫婦関係は冷え切っていました。その葵の上が亡くなってから、光源氏と紫の上は男女の関係になります。15歳の紫の上は、光源氏と「新枕(にいまくら)」をかわします。③の最後に「飽かぬところなし」とありますが、紫の上に対して非のうちどころがない、と光源氏は思っています。

③姫君、いとうつくしうひきつくろひておはす。「久しかりつるほどに、いとこよなうこそおとなびたまひにけれ」とて、小さき御几帳(みきちょう)ひき上げて見たてまつりたまへば、うち側(そば)みて恥ぢらひたまへる御さま飽かぬところなし。

③〈訳〉姫君は、じつにかわいらしくきれいに身づくろいしていらっしゃる。「しばらくお目にかからないうちに、ほんとに、すっかり大人らしくなられましたね」とおっしゃって、小さな御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、横を向いて恥ずかしがっていらっしゃるお姿は非のうちどころがない。(2)葵 P.68

 葵の上と死別し、正妻がいなくなった光源氏は紫の上を妻にしようとしました。そして、夫婦になっても良いと判断しましたが、はじめ光源氏がそのように思っていたことに、紫の上が戸惑っている様子が描かれています。光源氏は、その様子も愛おしく見ていました。
 そして、紫の上は、正妻格として理想的な妻として成長し、世間から幸いの人と評価されます。

 
紫の上の苦悩
 私がつらかっただろうと思うことを、3つ挙げます。
 1つ目は、紫の上は、子どもができなかったことです。
 2つ目は、政治的なライバルの家の娘、朧月夜という女性と光源氏が恋に落ち、そのことが発覚した結果、今でいう謹慎みたいな形で、兵庫県の須磨に光源氏が行ってしまったことです。
 3つ目は、その須磨で、光源氏は、今度は明石の君と出会い、二人の間に子どもができてしまったことです。④にあるように、明石の君ではなく、紫の上との子どもだったら、と思われてしまいます。その須磨でできた女の子を、紫の上が育てることになります。紫の上は大切に育てます。その女の子は、のちに明石の中宮といって、帝の后になります。

④いかにぞや人の思ふべき瑕(きず)なきことは、このわたりに出でおはせでと口惜しく思さる。

④〈訳〉「それさえかなえば(紫の上の子どもならば)人から玉に瑕よと不審がられることもなくなるだろうお子のことが、こちらのお腹にはお生れにならないで」と残念にお思いになる。(2)薄雲 P.435

 子育てする紫の上は、他のものには目もくれず姫君を抱きあやし、一緒に遊んでいたと、本文にありました。紫の上の優しさが見えます。世間では、やはり紫の上の実子であればという声が多いようでした。光源氏が、紫の上の子どもだったらなぁと残念に思っている場面は、紫の上にとっても明石の君にとっても辛いことであると感じます。
 また、光源氏が朝顔という女性に恋をした時、紫の上は自分の立場が脅かされるのではないかと苦悩します。紫の上は正妻ではないため、どうしても不安を覚えることも多かったようでした。そして、紫の上と光源氏の間で一番の出来事は、准太上天皇となった光源氏に女三の宮との縁談が持ち込まれ、光源氏は承諾してしまったことです。女三の宮が、光源氏の正妻となります。平気なふりをしつつもやはり悲しさを隠せていませんでした。

⑤なほただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れのをりなどを思し出(い)づれば、今はとかけ離れたまひても、ただ同じ世の中(うち)に聞きたてまつらましかばと、わが身までのことはうちにおき、あたらしく悲しかりしありさまぞかし、さてその紛れに、我も人も命たへずなりましかば、言ふかひあらまし世かはと思しなす。

⑤〈訳〉やはり平静ではいられぬ心地であるが、あの須磨のお別れのときのことなどをお思い出しになると、「殿がもうこれまでと遠くどこぞに行っておしまいになっても、ただ同じこの世にご無事でいらっしゃるとお聞きすることさえできれば、と自身のことはさておいて、殿の御身の上をもったいないこと悲しいことと思ったことだった。もしあのまま、あの騒ぎに紛れて、ともども命を落してしまっていたならば、いまさらなんのかいもない二人の仲だっただろうに」と気をお取り直しになる。(4)若菜 上 P.67-68

 どんなことがあっても紫の上は、光源氏を大事に思い、自分自身のことはさておいて、光源氏の身の上を気遣う気持ちが書かれています。私は、紫の上が、どこまでも前向きに考えるところに強さを感じました。
 紫の上は、かわいらしく聡明であり、光源氏を支え続け、知性、教養、品格をもち人々を魅了する理想の女性です。しかし悩みを抱え、当時の貴族の女性をうつしたような、共感を呼ぶ女性だったと思います。
 しだいに紫の上は出家を望むようになっていきます。しかし光源氏は出家による別居はしたくないと紫の上の出家を許しませんでした。ところがしばらくして紫の上は病にふせます。孫にあたる匂宮に二条院の管理を任せ、光源氏と話し明石の中宮と話したのち手を握られて息を引き取ります。
 紫の上の葬儀はその日のうちに執り行われ、彼女の人柄を偲ぶ大勢の人が参列して別れを告げました。

⑥あやしきまですずろなる人にもうけられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても世にほめられ、心にくく、をりふしにつけつつらうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音、虫の声につけつつ涙落とさぬはなし。

⑥〈訳〉紫の上は、不思議なほどこれといってかかわりがあるでもない人にも評判がよく、なんでもない些細なことをなさるにも、万事世間からほめたたえられ、場合場合に応じて奥ゆかしく行き届いていて、世にまたとないお人柄だったのである。どれほどご縁のあるはずもない世間の人たちまでが、その当時は、風の音、虫の声を聞くにつけても、涙を落とさぬ者はない。(4)御法 P.516

 世間の人々から惜しまれる様子がうかがえます。

⑦かどかどしうらうらうじうにほひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉のみ思ひつづけられたまふに、例の涙もろさは、ふとこぼれ出でぬるもいと苦し。

⑦〈訳〉才気があり行き届いていて、奥ゆかしい魅力をたたえたお人柄やその物腰、お言葉ばかりが次々と思いうかんでくるので、例の涙もろさから、ふとこぼれ落ちてしまうにつけても、まったく苦しいお気持ちになられる。(4)幻 P.532

 長年連れ添った最愛の妻を失った光源氏は落ち込み、仏道修行を行いました。52才の光源氏は若き日の浮気心によって、紫の上を悲しませてしまったと後悔しつつ、他のどんな女性より素晴らしい妻であったと振り返りました。

 光源氏と最も長く一緒にいる女性として、物語には描かれ、女主人公は紫の上だとも言われています。しかし、正妻にはなれませんでした。それは、光源氏の正妻になるには、紫の上の身分が低かったからと言われています。光源氏に愛されるけれども正妻にはなれなかった紫の上の気持ちを想像してみてください。
 紫式部がすごいな、と私が思うのは、主要な登場人物が50人ほどいて、周辺の人まで入れると400人以上になります。そのすべてにキャラクター設定をして描き分けているところです。その多くの登場人物が、すべて、悩みや悲しみを抱えています。何かしら、思い悩む姿が書かれているのです。読者は登場人物に自分を重ねて共感し、作品世界に魅了されていきます。この女主人公と言われる紫の上でさえ、悩みの多い人生を生きました。

 
最後に・・・
 ⑦でも見られるように、紫の上について、外見の美しさだけでなく、内面の美しさがたたえられています。物語を読んでいて、作者の紫式部は、外見だけでなく、内面の美しさを重視しているなと感じることがありました。
 5月号の桐壺更衣、7月号の藤壺、8月号の紫の上は、身分の差こそありますが、顔が似ているという共通点があります。そして、それぞれ内面が美しい人でした。この価値観は、今にもつながることです。
 ちなみに、桐壺更衣の桐の花の色は何色か知っていますか?紫です。
 藤壺の藤の花の色、これも紫。
 そして、紫の上、これも紫そのもの。
 紫でつながる3人は、光源氏の生涯をつうじて、とても大切な3人として描かれます。この紫の3人を軸にした光源氏の物語、これを機会にぜひ触れてみてください。

 

※本文と訳は、小学館『新編日本古典文学全集』に準拠しています。なお、引用に際しては(巻、ページ数)で記載しました。

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