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古典の日絵巻第十三巻「御簾の下からこぼれ出る女房装束」
こんにちは。赤澤真理と申します。朧谷先生からバトンを受け取り、今年から一年間、「古典の日絵巻」を担当させていただきます。
私の専門は、日本住宅史、主に寝殿造(しんでんづくり)の空間としつらい、女性の空間について研究しています。今年一年は、「御簾の下からこぼれ出る装束」を中心に、日本の住まいの文化についてひもといていきます。
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二月号 「源氏物語」花宴巻と御簾の中に半身を入れる光源氏
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一月号 御簾を巻き上げる清少納言
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十二月号 源氏物語絵にみる光源氏の垣間見(かいまみ)
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十一月号 歌合・絵合における女房の出衣
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十月号 「源氏物語絵巻」柏木(三)にみる薫の生誕五十日のお祝い
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九月号 『紫式部日記』にみる紫式部の局
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八月号 「小野雪見御幸絵巻」にみる皇太后歓子のおもてなし
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七月号 「駒競行幸絵巻」にみる彰子の座
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六月号 「栄花物語」女性の賀宴に示された女房の袖口
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五月号 庭園にみる「八橋」の意匠-京都仙洞御所の場合
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四月号 源氏物語の場合に示された女房の袖口
二月号
「源氏物語」花宴巻と御簾の中に半身を入れる光源氏
梅薫る二月となりました。今月号では「源氏物語」花宴巻と御簾に半身を入れる光源氏をみてみましょう。
〈図1〉では、光源氏が上半身を御簾の中に入れて、女性たちを見ています。これはどういった場面なのでしょうか。『源氏物語』花宴巻をみてみましょう。
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【図1】 |
●弘徽殿(こきでん)の細殿で出会う光源氏と朧月夜
旧暦二月二十日余りに南殿(紫宸殿)の桜の宴が開催されます。夜になり光源氏は、弘徽殿の細殿で「朧月夜に似るものぞなき」と歩いてくる朧月夜と出会います。朧月夜は、光源氏と敵対する右大臣家の娘でした。二人は、扇を逢瀬の証として取り換えます。
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【図2】 |
場所は弘徽殿の細殿。宮中であることから柱は寝殿造風の丸い柱となっています。朧月夜は手に扇を持っています。
ひと月後の三月となり、右大臣家で藤の宴が開催されました。皆は正装なのに、光源氏は桜襲の唐の綺(綾の古名で単色の紋織物)の御直衣(おのうし)に、葡萄染(えびぞめ)の下襲(したがさね)の裾を長々と引いて、おしゃれな普段着でやってきます。
光源氏は、朧月夜を捜すために、体調不良をよそおい、妻戸の所で御簾をかぶって半身をお入れになりました。人の様子をうかがうと、並々の若い女房たちではなく、上品で趣味もよいといった感じがはっきりとわかります。
光源氏は、「扇を取られてからきめを見る」とわざとおおらかな声で言いかけて長押(なげし)に寄せておすわりになります。
深くため息をつく気配がします。光源氏は寄り添って、几帳越しに手をとらえます。
「あづさ弓 いるさの山に まどふかな ほのめし月の 影や見ゆると 何ゆゑか(いつぞやちらりと見た有明の月の姿が、また再び見られるものかと、いるさの山をうろうろと迷っております」と言うと
「心いる 方ならませば ゆみはりの つきなき空に 迷はましやは(お心にかけてくださるのなら、弓張の月のない空でも、お迷いになることはありますまいに)」
という声は紛れもなくあの夜の女君(朧月夜)です。光源氏は実にうれしく思います。
●御簾の中に半身を入れる
〈図1〉で御簾の中に光源氏が上半身を入れているのは、本文を絵画化したものです。これは一体どのような動作だったのでしょうか。
御簾の中に半身を入れるという動作で思いつくのは、『建春門院中納言日記(たまきはる)』です。同書は、藤原俊成の娘、建春門院中納言が、老後に自らの宮中生活を回想したもので、建保7年(1219)成立しました。
御所の帳帷(ひきもの)の中(うち)へ、上臈ならで参らず。大和、三河、常陸やうの人人、申すべき事などあれば、御縁広廂(ひろびさし)に御簾ひきかづきてぞさぶらひし。 『建春門院中納言日記(たまきはる)』
女院のいらっしゃる御帷の中では、上臈(じょうろう/身分の高い女官)でない人は参上しません。大和、三河、常陸のような人びとが申し上げることがあると、御縁、御広廂に坐り、御簾の中に上半身を入れて申し上げました。
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【図3】 |
いっぽう〈図3〉は、「長谷雄草紙(はせおぞうし)」模本で、原本は13~14世紀頃に成立し、永青文庫(えいせいぶんこ)に所蔵されています。平安時代の文人長谷雄のもとに、鬼のもとから美女がやってくる場面です。美女が御簾に半身を入れて部屋に昇る様子が描かれています。このように「御簾に半身を入れる」ことは、中世の日記や絵巻に散見されるのです。
●近代日本画家の描いた光源氏と朧月夜
最後に昭和に描かれた源氏物語絵巻から、光源氏と朧月夜をみてみましょう。
2024年春に東京富士美術館で開催された「源氏物語展」には、松岡映丘(まつおかえいきゅう)を筆頭とするやまと絵系の日本画家5名が、末摘花から賢木までの各巻を描いた、昭和初期の源氏物語絵巻が出品されました。「源氏物語絵巻」(大阪青山歴史文学博物館蔵、昭和3~9年(1928~1934))です。
図4の福岡出身の吉村忠夫(1898~1952)が描いた花宴巻には、光源氏と朧月夜が再会する藤の宴が描かれています。
吉村忠夫は、天平時代や平安時代を対象に古典的な世界を深く認識した上で、現代の絵画に活かしました。吉村忠夫の大阪青山歴史文学博物館本は、①華美すぎる弘徽殿における女房の袖口、②光源氏が扇を手に持ち、③几帳越しに朧月夜の手をつかむ、源氏物語の時間のながれを、情感豊かに描いています。
御簾の下からこぼれ出る女房装束の描写は、13世紀に描かれた「紫式部日記」日野原家本の敦良親王の五十日の祝儀のときの打出を参考にしていると考えられます。片袖だけが出ているので、同じ表現である、12世紀の国宝「源氏物語絵巻」柏木(三)(徳川美術館蔵)をも参考にしているかもしれません。
吉村の師匠であった松岡映丘ら日本画家の研究会では、実際に甲冑や烏帽子直垂を身にまとった有職故実の研究会が行われていたとされます。
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【図4 複写厳禁】 |
吉村忠夫が述べた「平安時代の風俗」には、花宴巻について解説した部分があり、光源氏の装束や打出について触れています。
桜の唐の綺の御直衣といへば、白き薄き紋織の表に蘇芳色の裏がうすく赤く透いてゐるのであります。恐らく下には美しい重ね衣をしてゐたでありませう。直衣には下襲は着けないものでありますが、特殊な自由の色として葡萄染の下襲の裾を長く引いてゐるといふのです。これは、規矩にはづれた特殊な姿であります。この裾にも勿論美しく刺繍などが加えられ制られてをつたに相違ありません。裾をつけた上は、腰には漆黒の石帯をありませう。この場合、もとより美しいよき配色の指貫をはいてをつたことは申すまでもありません。藤の花の宴の後でありますから、皆の人は袍を着てゐる中に、こんな美しく、また特殊な風をして現はれたのでありますから、なまめかしくも目ざましかつたことでありませう。
風俗、服飾に関係のあるもののうちにもいろいろと心が配られてゐるのであります。客を招待する折に、庭の方から座敷を眺めた時に風情を添へるために、又は長い廊下を歩ませるのに風情を添へる趣向として、「出し衣(だしぎぬ)」をするといふことがあります。廊下に面した室には 簾をかけ渡しますが、その簾の内側には一間毎に朽木形の几帳を置きまして、その几帳の裾を御簾の下からのぞかせてあるのであります。青い簾の下から白い几帳の帷子(かたびら)が見え、黒い風帯がなびいてゐるのも一つの風情でありますが、この几帳の骨を、美しく重ねられた十二単に抱かせて、きれいな装飾とすることがあります。几帳の帷や風帯を中程に寄せて、十二単の色もとりどりの袖口や裾を左右に出して美くしい装師と致します。長い廊下の一間毎に一具の十二単が並べられた装飾は非常に美しいものであつたと思はれます。紫式部日記絵巻などには美しく描かれてゐるので、凡そ、その当時を想像することが出来るのであります。この装飾の方法を出し衣と申します。〈以下、中略〉
(吉村忠夫「平安時代の風俗」池田亀鑑編著『源氏物語』(朝日古典講座第2集) 朝日新聞社、1951年)
日本画家・吉村忠夫は、「源氏物語」本文を基に、古絵巻や文献等、数多くの史料から、御簾の下からこぼれ出る装束をみごとに表現しているといえるでしょう。
【主な参考文献等】
・本文・現代語訳は、『新編 日本古典文学全集』小学館を参照。
・吉村忠夫「平安時代の風俗」池田亀鑑編著『源氏物語』(朝日古典講座第2集) (朝日新聞社、1951年)
・清田倫子『宮廷女流日記文学の風俗史的研究』(中央公論事業出版、1981年)
・『特別展吉村忠夫と松岡映丘一門図録』(福岡県立美術館、1996年)
・片桐弥生「松岡映丘筆「宇治の宮の姫君たち」をめぐって」三田村雅子・河添房江編『描かれた源氏物語 (源氏物語をいま読み解く 1)』(翰林書房、2006年)
・国文学研究資料館編『源氏物語 千年のかがやき』(思文閣出版、2008年)
・『源氏物語 THE TALE OF GENJI-「源氏文化」の拡がり 絵画、工芸から現代アートまで―』(東京富士美術館、2024年)
・菊地絢子「松岡映丘筆「宇治の宮の姫君たち」から眺める源氏物語の近代」(國華編輯委員会編、國華130 (3)、2024年)
・片渕須直・赤澤真理・黄昱「国文学研究資料館ないじぇる共創ラボ 清少納言たちがそこにいた「空間」を探る」(2022年10月29日)
【引用図版】
・図1・図2 「源氏物語団扇画帖」(国文学研究資料館蔵、17世紀)
・図3 「長谷御草紙」(国際日本文化研究センター蔵、福田太華筆)https://da.nichibun.ac.jp/item/003680071 日文研デジタルアーカイブ
・図4 「源氏物語絵巻」(大阪青山歴史文学博物館蔵、昭和3~9年(1928~1934)、吉村忠夫筆「花宴」)[複写厳禁]