「四季草花草虫図屏風」(蝶・蜻蛉)鈴木其一「春秋草木図屏風」

俵屋宗達「双犬図」※作品画像はすべて部分、細見美術館蔵

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「古典の日」からとっておきの情報や
こぼれ話などをお届けします。

古典の日絵巻第十四巻「古典の魅力を伝え隊!~高校生が読む古典の世界~」

みなさん、こんにちは。
令和7年度は、私たち京・平安文化論ラボが、古典の日絵巻を担当いたします。私たち高校生の目線で読み解いた古典の世界を、1年間お楽しみください。

 

京・平安文化論ラボ

嵯峨野高校では、2年次に各自が選んだラボに所属して探究活動を行っています。数学、理科、法学等。その中のひとつが「京・平安文化論」ラボです。文学研究はもとより、若者の古典離れを課題とし、その課題を解決するためにどうすればよいかを探究しています。その活動の一環として企画・運営したのが『源氏物語』ゆかりの地を訪ね歩く「ちゅう源氏と巡る 源氏物語 京都スタンプラリー」です。スタンプ設置場所は、下鴨神社や上賀茂神社、野宮神社や廬山寺など京都市内全13カ所です。また、『源氏物語』の登場人物をイメージしたお菓子を私たちがデザインし、地元企業にご協力いただいて製造・販売するなど、古典に親しみ、その魅力を発信する様々な取組をしています。

9月号を担当したのは
氏名    : 鈴木 智尋
部活動   : バスケットボール部
趣味    : 野球観戦
好きな時間 : あけぼの(朝)
好きなもの : さつまいも
私の目標  : 学校の先生
9月号
枕草子のゆかりの地へ

 『源氏物語』のお話の途中ですが、ここでちょっとひとやすみ。今回は、紫式部と同じ頃に活躍した清少納言が書いた『枕草子』について研究したことをお話しします。

 私は『枕草子』のゆかりの地について調べました。『枕草子』は「随筆」なので、話に登場する自然の風景や寺社は現在も形を変えず存在しているものがたくさんあります。清少納言が実際に行った場所を私たちも訪れることができるのです。今回はそのうちの一つである「長谷寺(奈良県桜井市)」についてご紹介します。長谷寺は、平安時代に女性がお参りする場所として人気があり、清少納言も実際に訪れていました。『枕草子』にも五つの章段で長谷寺が登場しています。昨年の夏、実際に私も訪れてみました。そこで感じたことをお伝えしたいと思います。

長谷寺駅(近畿日本鉄道)の写真

第一二段 市は
 市は たつの市。さとの市。つば市、やまとにあまたあるなかに、長谷に詣づる人の、かならずそこ泊るは、観音の縁のあるにや、と心ことなり。をふさの市。しかまの市。飛鳥の市。

 <訳>市は 辰の市。さとの市。椿市は、大和にたくさんある市の中で、長谷に参詣する人が、必ずそこに泊るのは、観音の御縁があるのかと思うと、特別な感じがする。おふさの市。飾磨の市。飛鳥の市。枕草子 p46

 

 ここに書かれている「つば市」は長谷寺に続く参道で開かれていたものと思われます。私も長谷寺を訪れた際に参道を歩きましたが、たくさんの商店が並んでいて当時の市の面影を感じることができました。写真は参道の始まりを写したものです。本堂に近づいて行けば行くほどお店も増え、写真が撮れないくらい賑わっていました。清少納言も市を開いている光景を見ていいなと感じたから、この章段でつば市をあげたのでしょう。
 また、「観音の縁」というのは、作られた年代から考えて重要文化財である地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)かなと私は思います。今も長谷寺で清少納言が拝んだかもしれない仏像を見ることができます。

 次に、清少納言が実際に長谷寺を訪れた時の話を紹介したいと思いますが、その前にまず「長谷寺の当時の別称」を確認しておきます。

第一五段 淵は
 淵は かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名をつけけむと、をかし。ないりその淵、誰にいかなる人の教へけむ。青色の淵こそをかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。かくれの淵。いな淵。

 <訳>淵は かしこ淵は、いったいどんな底の心を見きわめて、人がそんな名をつけたのだろうかと、おもしろい。ないりその淵。だれに、どんな人が「入るな」と教えたのだろうか。青色の淵はおもしろい。蔵人などの着るものにできそうで。かくれの淵。いな淵。枕草子 p477

 この「かくれの淵」というのはおそらく長谷寺近くの淵をさしていると考えられます。それはなぜかと言うと、第六六段に次のような記述があるからです。

第六六段 集は
 集は 古万葉。古今。

 <訳>和歌の集は 万葉集。古今集。枕草子 p122

 「集は、古万集。」とあり、清少納言が万葉集を好んでいたことが分かります。万葉集に収められているいくつかの句に、「隠国(こもりく)の初瀬」や「隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)」という表現があり、「かくれ」というのが初瀬をさすのではないかと考えられています。当時、有名な寺社はその地域の名前で呼ばれていました。「初瀬」もその土地の名前を表すだけではなく、長谷寺のことも指しました。清少納言も万葉集を読んで、実際に長谷寺に行ってみたいなと感じたのかもしれません。
 では、清少納言が実際に長谷寺を訪れた時の話をいくつか紹介します。

 

第一一〇段 卯月のつごもり方に(一部抜粋)
 卯月のつごもり方に、初瀬に詣でて、淀の渡りといふものをせしかば、舟に車をかきすゑて行くに、菖蒲(あやめ)、菰(こも)などの末短く見えしを、取らせたれば、いと長かりけり。菰積みたる舟のありくこそ、いみじうをかしかりしか。

 <訳>四月の月末ごろに、長谷寺に詣でて、話に聞いていた淀の渡りというものをしたところ、舟に車を置いて乗せて行くと、菖蒲、菰などの先が短く見えたので、それを取らせたところ、とても長いのだった。菰を積んでいる舟の行き交うのが、非常におもしろかった。枕草子 p216

 ここには、清少納言が「淀の渡り」というものを体験したエピソードが書かれています。作中では清少納言が水面に顔を出していた菖蒲tと真菰(まこも)という植物に興味を持ち、従者に引き取らせました。それが思ったより長くおもしろかったと感じたようです。きっと清少納言は普段は宮中の綺麗に整えられた庭の池ばかりを見ていたのでしょう。だからこそ、自然の池に生えた水草にも興味をもったのだと思います。このエピソードには、色んなことに興味を示す清少納言らしい性格がよく表れていると感じます。私が清少納言と同じ立場だったら、水草なんかを気に留めることなんてなかったはずです。
 また、現在の長谷寺でも、当時そこで清少納言が見た光景を感じられるエピソードがあります。

 第二一二段 九月二十日あまりのほど
 九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに、いとくるしくて、ただ寝に寝入りぬ。
 夜ふけて、月の窓より洩れたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、白うてうつりなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人歌よむかし

 <訳>九月二十日すぎのころ、長谷寺に参詣して、ほんのちょっとした家に泊ったところ、とても疲れて苦しく、ただもうひたすら寝入ってしまった。
 夜が更けて、月の光が窓から漏れて来たのだが、人々が横になっていた上にかけてある夜着の上に、その月が白い光をうつしなどしていたその風情は、たいへんにしみじみと心にしみて感じられたのだった。そんな時にこそきっと、人は歌を詠むというものだ枕草子 p350 

 

 ここでは、清少納言が長谷寺近くの小屋に泊まった時の話をしています。清少納言は、小屋に月の光が差し込む様子から歌を詠みたいものだと述べています。私も長谷寺本堂の舞台に行ってみて、「隠国」と言われているだけあり、周りは山に囲まれていて、そこから見える月はきれいなんだろうなと思いました。

 最後に紹介するのは清少納言の内面がよく分かる章段です。

一本の二七段 初瀬に詣でて、局にゐたりしに(一部抜粋)
 初瀬に詣でて、局にゐたりしに、あやしき下臈どもの、うしろをうちまかせつつる並みたりしこそ、ねたかりしか
 いみじき心おこしてまゐりしに、川の音などのおそろしう、くれ階(はし)をのぼるほどなど、おぼろげならず困(こう)じて、いつしか仏の御前をとく見たてまつらむと思ふに、白衣着たる法師、蓑虫などのやうなる者どもあつまりて、立ちゐ、額づきなどして、つゆばかり所もおかぬけしきなるは、まことにこそねたくおぼえて、おし倒しもしつべき心地せしか。いづくもそれはさぞあるかし。

 <訳>長谷寺に参詣して、局に座っていた時に、身分の低い下衆たちが、それぞれの着物の後ろを長く引いて並んで座っていたありさまには、しゃくにさわる思いをした
 たいへんな決心をして参詣したのだが、河の音などが恐ろしく、くれ階をのぼる時などは一方ならず疲れ果てて、早く仏の御顔をお拝み申しあげたいと思っていると、白衣を着た法師や蓑虫のような者たちが集って、立ったり座ったり、額ずいて礼拝したりして、少しも遠慮する様子もないのは本当にいまいましく感じて、押し倒してしまいたいほどの気持がした。どこでもそれはそういうものだが。枕草子 p465~p466

 

 ここでは、清少納言が長谷寺の「くれ階」を登った際の話が書かれています。くれ階とは登廊のことです。写真は現在の登廊で、平安時代のくれ階の面影が感じられます。清少納言は、「おぼろげならず困じて」と言っているようにやっとの思いでくれ階を登ったそうです。私も登廊を歩きましたが、長谷寺は山の上にあるので、そこにたどり着くまでも大変でしたし、本堂に着くにはこの終わりの見えない登廊を登らなければならず、かなりしんどかったです。清少納言はくれ階を登った先にいた身分の低い人たちの少しだらしない様子に腹を立てています。現代語訳にあるように「いまいましい」なんてかなり厳しいことを言っています。清少納言はなんでもはっきり言ってしまう性格だったんでしょう。そんな彼女の性格が、快活でテンポのよい『枕草紙』の文章にもよくあらわれていると思います。

 このように長谷寺では、随所で『枕草子』の世界を感じることができます。私も行ってみて当時の清少納言の気持ちが少し分かった気がしました。今回紹介した長谷寺は一例で、他にも様々な寺社や自然の中で『枕草子』の面影を感じることができます。ぜひ『枕草子』を「場所」という視点から楽しんでみてください。

 

※本文と訳は、小学館『新編日本古典文学全集』に準拠しています。なお、引用に際してはページ数で記載しました。傍線は本コラムの執筆者が付しました。
※写真はすべて執筆者が撮影しました。

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